萌えるソ連・フィンランド戦争

というわけで、前回の萌えるスペイン内戦に続くネタ。
あー、でも今回はまともな人が多いなw
(12/22  シモ・ヘイヘを追加)


なお、今回の元ネタについてはこちらをどうぞ。


参考


冬戦争 - Wikipedia
継続戦争 - Wikipedia
ラップランド戦争 - Wikipedia


東方Projectの登場人物 - Wikipedia
ローゼンメイデンの登場人物一覧 - Wikipedia
涼宮ハルヒシリーズ - Wikipedia


第一部 冬戦争編
1939年、ソ連は北欧の小国フィンランドに対してフィンランド湾内の島々の租借を要求していたが、これをフィンランド政府は拒否していた。ソ連によるポーランド侵攻後の1939年10月11日、モスクワで行われたモロトフ外相からフィンランドのパーシキヴィ外相に伝えられた提案は、


1、フィンランド主要部を守る防衛陣地帯マンネルハイム線の撤去
2、フィンランド南西部バルト海に面したハンコ半島の30年間の租借と基地の設置
3、フィンランド湾に浮かぶ島嶼の30年間の租借と基地の設置
4、カレリア地峡付近の国境線をフィンランド側に30km後退させる領土割譲


であった。特にハンコ半島へのソ連軍の駐留はフィンランド国内でのソ連軍の移動を認めることになり、その移動ルートは首都ヘルシンキ付近を通過するもので、フィンランドとしては認められるものではなかった。さらに国境線から32kmに位置するレニングラードフィンランド領内の長距離砲の脅威から守るためとして要求されたカレリア地峡の領土割譲は、フィンランドにとって文化的、また経済的にも非常に大きい損失となるものだった。譲歩案としてフィンランド湾内でソ連に近い位置にあるいくつかの島々の譲渡やカレリア地峡付近の一部の国境線の後退をソ連に提案したものの、交渉は決裂した。1939年11月26日、カレリア地峡付近の国境線でソ連将兵13名が死傷する砲撃事件が発生したとソ連側から発表された。ソ連はこの砲撃をフィンランド側からの挑発であると強く抗議した。この事件は実際には、ソ連が自軍に向けて故意に砲撃したのをフィンランド軍の仕業にして非難し、この攻撃を国境紛争の発端に偽装したものであり、このことは最近明らかになったソ連時代の機密文書によっても裏付けられている。しかしソ連は同日、ソ芬不可侵条約の破棄を通告。11月29日に国交断絶が発表された。11月30日、ソ連は23個師団45万名の将兵、砲1880門、戦車2385両、航空機670機を以ってフィンランド国境全域で攻撃を開始し、迅速にマンネルハイム線へと進撃した。これに対してフィンランド軍は歩兵部隊を中心に16万名、戦闘機は100機に満たなかった。絶望的な状況の中、フィンランド兵たちは祖国の独立を守るためにどのように戦ったのか?そしてフィンランドの運命は!?


第2部 継続戦争編
フィンランドソビエト連邦の冬戦争は1939年11月30日に始まり、1940年3月のモスクワ和平協定により終結した。フィンランドは独立を維持したものの、カレリア地方などの割譲を余儀なくされた。さらなる脅威に対抗するために1940年8月フィンランドはドイツと密約を結び、領土内にドイツ軍の駐留を認めた。1941年6月22日ドイツがソ連攻撃を開始すると、当初中立を表明したが、フィンランド領内からソ連を攻撃したドイツ軍に対し、ソ連フィンランド空爆を行ったため、6月26日フィンランドソ連に対して宣戦を布告した。ドイツとは同盟関係にないことを強調したものだったが、同年12月、イギリスはフィンランドに宣戦布告し、アメリカ合衆国フィンランドと国交を断絶した。1941年、フィンランド軍は7月にカレリア方面に攻勢を行い、8月末冬戦争前の国境線まで到達し、12月にはレニングラード近郊まで進出した。1941年末には戦線が膠着し、フィンランド軍はさらなる攻勢は行わなかった。 しかし、1943年、ドイツ軍がスターリングラードの戦いで敗北し、カレリア方面にもソ連の大軍が迫っていた。そして始まるソ連の夏季攻勢。果たしてフィンランドは祖国の独立を維持できるのか!?




登場人物(フィンランド


カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム
フィンランド軍最高司令官。元は帝政ロシアの軍人であったが、フィンランドの独立後はフィンランド軍の近代化に努める。1939-1940年のソ連フィンランド戦争では、フィンランド軍総司令官として国境線沿いに強固な要塞線「マンネルヘイム線」を構築して数的に圧倒的優勢のソ連軍相手に、地理的優位を最大に利用した徹底的な遅延作戦でソ連軍を苦しませた。後にドイツに接近し、1941年のドイツの対ソ侵攻に際しては、ドイツの同盟国としてソ連を攻撃し、前年にソ連に割譲した領土を回復。ドイツの同盟国であったが、ドイツとは一定の距離を保ち、フィンランド方面以外での兵力提供は行わなかった。42年元帥に昇進。ドイツの敗色が濃厚となった1944年8月には大統領に就任し、ドイツとの同盟を破棄し、ソ連と講和を結んだ。

「戦う力が残っている今こそ、和平を結ばなければならない。もし軍が崩壊すれば、我々は何を材料にソ連と協定を結べるというのだ」


リスト・リュティ
冬戦争勃発時のフィンランド首相、後に大統領。継続戦争末期には、「自らの名の下に」独断でドイツと協定を結ぶが、それは祖国を救うための自らの政治生命を賭けたペテンであった。第二次世界大戦後、戦争犯罪者として告発され、禁固10年の判決を受けたが、まもなく釈放された。フィンランド人に尊敬の念を持たれ、その死は国葬を持って送られた。

「大統領官邸にあっても、獄中にあっても、国民に奉仕することにおいては等しいのである」


J・K・パーシキヴィ
冬戦争前の対ソ交渉団の団長。本来反共主義者であったが、ソ連との長年のやり取りの経験からソ連と上手にやっていくには、和解友好の精神を持ってするほかは無いとの信念を持つに至る。1946年にフィンランド大統領に就任。ソ連との関係の改善に力を入れ、1948年ソビエト連邦との間に「友好協力相互援助条約」を締結し、「パーシキヴィ路線」と呼ばれる外交政策の基礎となった。

「まずはソ連との関係を改善しなくては・・・」


マウリ・リュオマ
フィンランドの国会議員。社会民主党所属で、開戦前は最もソ連寄りの人物だった。冬戦争の開戦後、フィンランド外相に対し書簡を書いた後に、軍医として前線に向かう。

「この戦争は、貴君のこれまでの反動的な政策に対する当然の結末である。」


ヒューゴ・エステルマ
冬戦争当時のカレリア地峡軍司令官。ソ連軍をマンネルヘイム線で迎え撃つ。後に継続戦争にも従軍。

「部隊を下げるべきか、それとも死守するか・・・」


ヒャルマー・シーラスヴォ
フィンランド軍予備役大佐、後に中将。
文部省に勤務していたが、冬戦争勃発に伴い現役に復帰。スキー部隊を率いてスオムッサルミ村でソ連軍2個師団を壊滅させる。継続戦争ではカレリアの第Ⅲ軍団を率いる。

「敵の前衛と最後尾を攻撃し、部隊を分断する」


パーボ・タルヴェラ
フィンランド軍予備役大佐、後に中将。スキー部隊を率いてラドガ湖畔でソ連軍と戦う。継続戦争ではフィンランド・アウヌス軍を率いる。

「くそっ、十分な火力があれば奴らを皆殺しに出来るのに・・・」


エルンスト・ルーベン・ラガス
フィンランド軍少将。ドイツからの援助やソ連から鹵獲した車両で編成されたフィンランド唯一の戦車師団を率いる。継続戦争時は戦線の火消し役として激戦地を駆け回ることになった。

「まったく、こんなに捕獲車両が多くちゃ識別が大変・・・」


シモ・ヘイヘ
フィンランドの軍人、狙撃手。史上最高のスナイパーの一人として知られ、特にフィンランドソヴィエト連邦の間で起こった冬戦争では、ソヴィエト赤軍の脅威の的となった。最終的にヘイヘが狙撃で殺害した人数は505名(542名とも言われるが、いずれの数にしても当然ながら世界記録である。無論、確認されていない実際の殺害数を加えれば更に100名単位で増えると思われる)であるが、これはあくまで狙撃に限定された数字である。ヘイヘはサブマシンガンの名手としても知られ、上記のキラー・ヒルの戦いなどではK31サブマシンガンを用いて、記録では200名以上、非公式なものを含めれば狙撃で殺害した505人よりも多くの敵兵士を倒したと言われている。
「出来ると言ったことを実行しただけさ」


イルマリ・ユーティライネン
敵機94機撃墜のフィンランド軍エース。冬戦争時はフォッカー、後にブルーステル、ME109メルスに乗って欧州屈指のスコアを達成することになる。また、マンネルヘイム十字章を2度受勲した数少ない人物。戦争を通じ殆ど被弾したことのない「無傷の撃墜王」であった。7.7mm機銃弾を1発被弾しただけと言われている。

「遅い、遅いっ!そんな動きで!」


ハンス・ウィンド
敵機75機撃墜のフィンランド軍エース。初陣は継続戦争からだったが、ブルーステル、ME109メルスで順調にスコアを伸ばす。彼もユーティライネンと同じく、マンネルヘイム十字章を2度受勲した人物である。

「こんなに簡単に落とせていいんでしょうか?」


ニルス・カタヤイネン
敵機35機撃墜のフィンランド軍エース。戦果と同時に被撃墜も多く「ついてないカタヤイネン」とも呼ばれた。そのため一時は爆撃機部隊へ転属されるがあらゆる手段を使って戦闘機部隊へ復帰した。彼は戦争を生き抜き、170番目のマンネルヘイム十字章受勲者となった。
「むー、絶対戦闘機部隊に復帰するわよ・・・」


タンペレ工廠の中の人

フィンランド空軍を裏から支えるリサイクルのプロ。撃墜された自軍の航空機からのみならず、敵軍の残骸からも使える部品を引っ張り出しては機体を再生する。ドイツがフランスから獲得した低性能のモラン・ソルニエMS406を、同じくソ連から獲得したエンジンでパワーアップして若干の性能アップに成功したメルケ・モランが自信作。

「えーと、エンジン、オイルクーラーはラグ3からパクッて排気システムがヤク1からでいいかな?」



登場人物(ソ連


ヨシフ・スターリン
ソビエト連邦書記長。アドルフ・ヒトラーと列ぶ、あるいはそれ以上の独裁者として悪名を馳せ、党内反対派や「反革命分子」に対する過酷な抑圧政策をとった。モロトフ=リッベントロップ協定に基づきフィンランドに過酷な領土要求を行う。

「我が赤軍はどうしてフィンランドで勝てない?砲兵、航空機、戦車、何が足りないというの!?」


クリメント・エフレモヴィチ・ヴォロシーロフ
ソビエト軍元帥。第二次大戦勃発後は最高国防委員会のメンバーとなり、スターリンを補佐した。1939年11月から1940年1月まで冬戦争(第1次ソ・芬戦争)でソ連軍を指揮するが、フィンランド軍の粘り強い抵抗の前に非常な苦戦を強いられ多くの死傷者を出した。スターリンを直接ののしって粛清されなかったという珍しい人物。

「そりゃお前のせいだ!お前が赤軍将校を大量に粛清したからだ!」


キリル・アファナーシエヴィチ・メレツコフ
ソビエト軍大将。冬戦争勃発時の対フィンランド戦司令官であったが、戦果を残せず、第7軍司令官に降格される。後に第一極東方面軍司令官として対日戦争を戦うことになる。

「大丈夫ですよぉ、我々は解放軍なんですからぁ。 ・・・あ、前進しすぎてスウェーデンの国境を越えないように注意してくださいね。」


セミョーン・コンスタンチノヴィチ・ティモシェンコ
ソビエト軍元帥。メレツコフの後任として対フィンランド戦を指揮する。冬戦争末期にカレリアへ大攻勢を仕掛け、フィンランドを講和のテーブルへ着かせることとなる。

「準備完了・・・あとは攻撃するだけ」


オットー・クーシネン
フィンランド人の共産主義者フィンランド独立時の内戦で敗れ、ソ連に亡命していた。冬戦争では、ソ連の占領した国境地帯の町テリヨキ(現在のゼレノゴルスキ)に樹立された傀儡政権「フィンランド民主共和国」の首班となった。しかし、フィンランド人からは彼の国は「トナカイと熊しかいないじゃないか」と揶揄されるものであったという。

「ちょ、ちょっと、なんで誰もこっち側につかないの!?」


アイノ・クーシネン
オットー・クーシネンの妻。大粛清の時期に投獄されるが、何とか生き延びる。1972年回想録を出版している(邦題『革命の堕天使たち』)。

「あぁ、嫌われてるわねぇ・・・」




登場人物(ドイツ)


アドルフ・ヒトラー
言わずと知れたドイツの独裁者。冬戦争後よりフィンランドに接近を開始し、数々の援助を見返りにフィンランドを対ソビエト戦争に引き込む。しかし、戦争後半はフィンランドの裏切りを警戒し、ラップランドでの焦土作戦を指示する。

「先に戦争から抜けるなんて許さない・・・」


ヨアヒム・フォン・リッベントロップ
ドイツの政治家。外務大臣を1938年から1945年まで務めた。後の冬戦争の遠因となったドイツ、ソ連間の密約「モロトフ・リッペントロップ協定」を結んだ人物である。継続戦争末期にはリュティ大統領と枢軸国の分離講和を認めないとする「リュティ・リッベントロップ協定」を結ぶ。第二次世界大戦後、告発され、ニュルンベルク裁判により絞首刑に処せられた。

「ふふん、これで両国の関係は磐石ですぅ」


エドゥアルト・ディートル
ドイツ軍上級大将。フィンランドに派遣されたドイツ第20山岳軍団司令官。有能で、フィンランド人からも尊敬された人望ある名将だが、1944年に飛行機事故で死亡。

「この地を守るのがボクの任務だから・・・」


ロタール・レンデュリック
ドイツ軍上級大将。死亡したディートル将軍の後任として、ラップランドからの撤退戦で焦土作戦を行った。その区域の住居の3分の1以上が破壊され、ロバニエミの街は燃え尽きた。損害は当時の価値で約3億ドルと見積もられ、10万人の住民が難民となり、戦後の復興の課題となった。後にレンデュリックは戦争犯罪人とされ、懲役20年を宣告された。

「安全に下がれないならやってやるのかしら!?」


なお、今回アイコンはぶらんけっと様みょふ〜会様IMPURITY EDEN様し〜くれっとも〜ど様よりお借りしています。