東方キャラで語る飛行機の歴史 その1
ちょっと本日は今までとは違うネタに挑戦してみようと思ったり。初めてなのでいろいろ不慣れな部分もありますがご笑覧くだされば幸いです。
「なんでも、作者が飛行機の歴史をアイコン対談で作ろうと思い立ったそうよ、それで」
「私たちが司会兼進行役ねぇ・・・飛行機の歴史って事はライト兄弟とか二宮忠八でもやるの?」
「いえ、そんな有名どころでなく軍用機、しかも駄っ作機をやるとか」
「作者いわく「どうせ趣味なんだから好きなようにやるんだ!」との事ね」
「ええと、今回は・・・イギリスの複座戦闘機ボールトンポール・デファイアントね。」
「この飛行機は1934年にイギリス空軍によって仕様が出され、作られたものね。応募したのは4社だったんだけど、結局試作機を作ったのはホーカー社とボールトンポール社の2社で、ホーカー社はいまいちやる気が無かったことから、結局このデファイアントが量産発注を獲得したようね。」
「そうね、この飛行機に関しては要求がこまごま変わった割には早く進んで、1937年には初飛行に成功したわ」
「エンジンに関しては傑作ロールスロイス・マーリンⅢを使っているので問題無しね、飛行機としては結構まともな出来だったようよ。」
「あれ、じゃあ何で駄作機なんて呼ばれるようになったの?普通そういうのってエンジンが駄目だったり開発期間が長すぎたりするもんだと思ってたんだけど・・・」
「・・・基本のコンセプトが根本的に間違っていたのよ。普通の戦闘機は前方に複数機銃を装備しているんだけど、デファイアントは後部の4連装7.7ミリ機銃のみの装備だったんだから」
「数百キロで機動戦繰り広げる戦闘機で機銃手の撃ちたい位置に持っていかないと撃てないのかよ・・・」
「いや、それ以前に真正面から敵が撃ちまくりながら突っ込んできたらたらどうしようも無くない?」
「それでもダンケルク撤退戦の時はドイツ軍機を65機も撃墜したようね、まぁ敵が似たような戦闘機のハリケーンと間違えて後方から突っ込んできてくれたからなんだけど」
ダンケルク航空戦(イメージ映像)
4連装7.7ミリ機銃を食らえ!
「でも後の英国本土航空戦では正体もばれて酷い目にあったそうよ・・・1940年7月には第264飛行中隊が出撃9機中6機を撃墜されたりとか」
「これでデファイアントの実戦参加はおしまいなの?」
「いえ、1940年後半からはドイツ軍の夜間爆撃が始まったせいでデファイアントは夜間戦闘機に使われることになったのよ」
「当時のイギリス軍の夜間戦闘機は爆撃機に機銃を多数装備したようなものしかなかったから、それなりに運動性のいいデファイアントは結構使えたようね。本格的な夜間戦闘機の出来る1942年まで第一線にあったそうよ」
「ちなみに、この夜間戦闘機タイプのデファイアント部隊をネタにしてこんな本も出ているわ。興味があったら見てみてね」
「夜間戦闘機から退役したあとも、デファイアントは銃座を取り外して洋上救難捜索機や標的曳航機として使われ続けたわ。他にはドイツ軍防空レーダーへの電波妨害作戦「ムーンシャイン」にもデファイアントが使われたりもしているし」
「銃座が無くて戦闘機で無ければ結構使える飛行機だったって事じゃないか?」
アイコン提供 ぶらんけっと様
参考資料:岡部ださく 世界の駄っ作機1