萌えるスペイン内戦

・・・・・という電波が飛んできたので作ってみるw(10日、ちょっと修正しました)
ちなみにキャスティングは作者の独断と偏見に基づいて作られていますのであしからず。

変更点 ドロレス・イバルリとアナーキストのキャスト交換。モラ将軍を太田香奈子から朝倉涼子へ変更。ケイポ・デ・リャーノを追加。





プロローグ
時は1930年代、第一次世界大戦後のスペイン右派と左派の対立が尖鋭化していた上にカタルーニャバスクなどの地方自立の動きも加わり、政治的混乱が続いていた。
軍事独裁政権、王制の廃止等も行われていたが、左右両派ともに決定打に欠く状態が続いた。
しかし、1935年にコミンテルン第7回大会で人民戦線戦術が採択されると左派勢力の結束が深まり、1936年の総選挙で再び左派が勝利し、マヌエル・アサーニャが率いる人民戦線政府が成立した。これに対して、スペイン領モロッコでフランシスコ・フランコ将軍が反乱を起こすと、カトリック教会、地主、資本家、軍部などの右派勢力はこれを支持してスペイン全域を巻き込む内戦へと突入した。
主人公はこうした中、反ファシズムの理想に燃えて国際旅団に志願した一市民である。
人民戦線各派閥の間を渡り歩き、派閥抗争を生き残り、フランコとの戦いに勝利するのだ!


主要人物(人民戦線)


サーニャ・ディアス
第二共和制最後の大統領。スペイン内戦前に数々の改革を進めようとしたが、貧民層を満足させるにいたらなかった上、資本家、軍、カトリック教会などの保守層から反発を招き、成果を残せぬままスペイン内戦により政権崩壊へと至った。



ファン・ネグリ
第二共和制最後の首相。自身は社会党出身だったがスターリニストの影響下にあり、人民戦線内部の抗争を抑えることは出来なかった。内戦敗北後、パリ、次いでメキシコに亡命、1945年まで亡命共和国政府の首班をつとめた


ドロレス・イバルリ
スペインの著名な共産主義者。その華麗な経歴と美貌から「情熱の花」と呼ばれる。
1933年ごろからスペイン全土を巡って共産主義の拡大に努力した。
しかし、彼女の強烈な反ファシスト感情は敵側のフランコ軍の敵愾心をも高揚させ、被害を拡大したとの見方もある。

「ノー・パサラン!((ジャンク共を)通すな!)」




人民戦線内部の主な組織

イベリア・アナーキスト連盟
20世紀初頭から急速に勢力を伸ばした無政府主義者のグループ。政府の閣僚、警察官までもを暗殺の対象として数々のテロを行い、首相の暗殺も成功させている。また、工業界でのストライキでは労働者側について戦ってもいる。
内乱が始まると、共和国側に付いたが、そのあまりにも過激な行動によって他の組織と武力闘争を繰り返す

「首相はメインディッシュ、最初は閣僚たちから」



マルクス主義統一労働党:[
スペイン内戦当時の反フランコの中心的存在。名称とは裏腹に、幹部はトロツキー思想の支持者が多かったという。
しかし、その思想ゆえに他の組織とぶつかることも多く、内戦勃発後も内部での市街戦などを引き起こしている。

「おしおきが必要ですね・・・」



スペイン共産党
スペイン内戦当時はごく少数派だったものの、コミンテルンの統制下にあったため、ソ連の内戦への介入とともに勢力を伸ばす。
コミンテルンに同調しない組織に対してスペイン共産党は彼らをトロツキストと批判し、内部対立を深めた。
1937年には500名近くの死者を出した市街戦を引き起こす。

「修正主義者なんて・・・死んじゃえっ!」



国際旅団
多くの国際的社会主義組織を始めとする反ファシズム運動が、この戦争に当たって結束した。アーネスト・ヘミングウェイ、後にフランス文相となったアンドレ・マルローなどが参加、日本人ではジャック白井という人物が1937年7月にブルネテの戦いで戦死している。ただし、結成にはコミンテルンが深く関わっており、構成員の大多数は知識人ではなく労働者であり、また、全構成員の85パーセントは共産党員だった。また、戦闘で消耗を重ねた結果、末期には国際旅団といいながら兵士の大多数がスペイン人に置き換わっていた部隊もあったと言われる。戦争終結直前、国際旅団は有力な支援元であるソビエト連邦ナチス・ドイツとの取り引きのため、撤退が指示された。

「自分は革命家どころか・・・・・・」





主要人物(ナショナリスト軍)

フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ
ナショナリスト軍の中心人物。内戦前はモロッコの反乱で頭角を現すなどして、共和国最年少の将軍となっている。
もう一人の指導者モラ将軍の死後、反乱軍を纏め上げ、内戦に勝利した。
第二次大戦時は中立を維持し、スペインを戦争へ巻き込むことを避けた。また、その後はアメリカとの関係改善にも成功している。

「この国を面白おかしくするのはこのフランコよっ!」


ファン・ヤグエ・ブランコ
フランコ指揮下のナショナリスト軍の最も有名な将軍。アウトウリアスの労働者反乱の際、強硬な弾圧を行ったことで名を知られた。フランコにとっては最も頼りになる存在で、エブロ川の戦いでは最精鋭の第二軍団を預けられている。また、テルエル、アラゴンの戦いでも勝利を収めた。戦後はスペインの空軍大臣を務める。

「問題ない・・・エブロ川の政府軍はもう攻勢限界点に達している・・・」



ホセ・エンリケバレーラ・イグレンシアス

ナショナリスト軍の作戦指導を担当した軍人。内戦勃発後は外人部隊を率いてトレド、アンダルシア、ブルネテ、テルエル、アラゴンの激戦を戦い抜いた。戦後はスペイン軍の総司令官となるが、すぐに病気で引退した。
*多分ハルヒフランコが第二次大戦に手を出さなかったのはこの人が必死になって止めたんでしょうw

「やれやれ・・・」



ケイポ・デ・リャーノ
セビージャ税関警備隊司令官。通称ラジオ将軍。毎晩、ラジオを通じて、共和国側陣営へ毒づいた。「げす野郎」「赤ども」といった汚い言葉を使い、外人部隊の性的な事を脅しや自慢話として喋っていた。一言で言えば酔っ払いの戯言で、フランコも苦笑するしかない場面もあったが、外国人のジャーナリスト達には受けてたようだ。
「さぁ、今日もラジオがんばるにょろっ!」



エミリオ・モラ・ビダール
フランコと並ぶナショナリスト軍の中心人物。当時スペインで最も有名な将軍で、下士官、兵にまで人気があったという。
また、バスク地方バレアレス諸島での戦闘でも冴えを見せ、軍事的才能ではフランコを上回っていたともされる。
1937年、バスク地方での戦闘が最終局面を迎えた際、飛行機事故によって死亡。彼の死によってフランコの最高指導者としての地位が確立された。
「あーあ、残念。折角のチャンスだったのに」



ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベーラ
ファランヘ党創始者。天才ファシスト軍事独裁政権をしいたプリモ・デ・リベーラの息子。1936年銃の不法所持で逮捕され、その後、銃殺される。

「で、出番無しで死亡ですか!?」





内戦に関わった各国の人物



アドルフ・ヒトラー:
言わずと知れたドイツの独裁者。1936年夏よりフランコ支援を開始し、コンドル軍団を送り込んだ。
内戦終結後、スペインを枢軸国に引き入れようと数々の工作を行ったが、失敗に終わっている。

フランコの奴いつまで中立を維持するつもりなの!?」


ヒューゴー・フォン・シュペルレ
ヒトラーが派遣したコンドル軍団の指揮官であり、戦争全般を通じて指揮を取ることとなった。
当初はソ連航空機の性能に悩まされるも、新型機を受け取った後はスペインの空では無敵の存在となる。
内戦終結後はドイツ空軍の空軍総監に任命される。

「新型が来ないとI-16に勝つのは難しいわね・・・」


リッター・ウィルヘルム・フォン・トーマ
ドイツ・コンドル軍団の地上部隊指揮官。1936年より2年の間スペインで戦った。
1号、2号戦車からなるドイツ戦車部隊は性能の面ではソ連の戦車部隊に劣っていたものの、錬度と運用の高さを生かして多数のソ連戦車を撃破した。また、第二次大戦ではポーランド、フランスの戦いでも戦功を挙げることとなる。

「幾ら性能が良くても、バラバラに突っ込んで来る戦車なんかっ!」



ベニート・ムッソリーニ
イタリアのファシストで、第一次世界大戦後のイタリアを強国にした反面、祖国を無謀な戦争へ引きずり込んだ男。
スペイン内戦の際にはフランコに最大限の援助を行い、5万人にも達するCTV部隊を送り込んだ。しかし、CTV部隊はグアダラハラの戦いで大敗し、イタリア軍の評価は地に落ちることになる。

「え、エチオピアでは勝てたはずなのかしら!?」



ヨシフ・スターリン
1930年から20年間に渡って恐怖政治を敷いたソ連共産党の指導者。スペイン人民戦線に対しては、内戦当初より援助を行うが、共産党とそれ以外のアナーキスト自由主義者たちを明確に区別していた。1938年にスペインのソ連軍が撤退したのは彼の判断による。

「人民の敵よ、あなたを殺します」


アーサー・ボールドウィン
スペイン内戦当時のイギリス首相。当時、ファシズムに対して宥和政策をとっていたイギリスは、内戦が世界大戦を誘発することを恐れて中立を選んだ。

「何故無政府主義者どもを支援する必要があるのだ?」


レオン・ブルム
フランスの社会主義者で、1936年にフランス人民戦線内閣の首相となる。スペイン内戦開始と同時に共和国へ援助を開始するが、右翼、中間勢力の突き上げにあい、不介入政策を取らざるを得なかった、結局、彼の内閣は2年後に崩壊し、その混乱から立ち直る前にフランスそのものがドイツに倒されることとなった。

「な、なんでーーー!?」



ちなみにアイコンは眠りの園さまみかつうさまみょふー会さまより拝借しています。