萌える春秋戦国史「しゅん☆じゅう」 その4
さて、今回で萌える春秋戦国史も4回目ね。結構続くわねぇ・・・
というかまだこの時代で有名な人物にさっぱりスポットが当たってないんだがいいのか?
計算では鄭の話があと2,3回は続くようねぇ・・・覇者の斉桓公や晋文公まで行くにはまだまだね。
あ、そうそう。今回からタイトルが若干変わったので皆さんよろしく。
鄭荘公
さて、王命の詐称も上手く行ったし軍備も十分整ったわ。これより宋に攻め込みます!
公子呂
殿下、開戦の大義名分はいかがしますか? まさか自国領を略奪されたからというわけには行きませんが。
そうねぇ・・・じゃ宋が洛陽への朝貢を怠ったことにしておいて。
あ、宋の近隣諸国にも王命ということで兵を出すように伝えてね。特に斉や魯は大国だから援護があればありがたいわ。
そして斉、魯では
斉釐公
斉国第十三代君主。在位年は前730〜698年。名は禄父。荘公の子。鄭・魯と同盟して勢力を伸ばし、斉が東方の覇者となるための基盤を築いた。
ふーん、鄭の要請ね・・・鄭と仲の悪い今の周王がよく王命なんて出したものとは思うけど、ともかく以前鄭とは友好を誓ったことだし兵を出しましょう。夷仲年よ、貴方が兵を率いるように。
夷仲年
斉の公子。前699年没。荘公の子、斉釐公の弟。兄の使者として度々他国に行く。仲の悪い兄弟が多い中、釐公との兄弟仲は非常に良好。
魯隠公
魯国第十四代君主。在位年は前722〜712年。名は息姑(息)。恵公の子、母は声子。恵公の死後、太子の允が幼かったため允が成長するまでの間一時的に位についた。
ふむ、鄭からの要請か・・・前の東門の役では敵国だったが和解するいい機会だ、兵を出そう。公子翬よ、兵を率いて鄭へ向かうように。
そして鄭では
祭足
殿、夷仲年殿に率いられた斉軍と公子翬殿に率いられた魯軍が到着いたしました。
ん、斉と魯の二カ国だけ?確か衛、蔡、陳、許にも兵を出すよう伝えたはずじゃないの?
それが陳は国内情勢が不穏につき兵は出せないと・・・衛と蔡は要請を黙殺しました。許は兵を出すのを拒否しています。
ふん、小国の分際で拒否するとはいい度胸ね・・・まぁいいわ、いずれ王命に逆らったということで兵を出す理由が出来たと思いましょう。ところでこちらの準備は大丈夫?
はい、既に公子呂殿、公孫閼殿、高渠弥殿が出撃準備を整えています。
公孫閼
鄭の公孫。字は子都。桓公または武公の孫。美男子として有名だったらしい。
高渠弥
鄭の卿。前694年没。荘公以来の重臣で、後に卿となる。
はい、太子忽様と一緒に留守を守らせていただきます。大軍が城を出ればその城が襲われる用心をしなければなりません。
こうして鄭、斉、魯の連合軍は宋に侵入、老桃(山東省寧済県)までまっしぐらに前進、ここには宋の城があったんだけどたちまち陥落させたわ。
ふふ、老桃を含めて3つの城を奪取したわ。そろそろ軍を休ませましょう。
新鄭に宋、衛、蔡の連合軍が迫る。但し、急ぎ帰還はせず3日ほど待って帰国されたし。それまで新鄭は死守します
そうね、斉軍と魯軍にはこのことは黙っていて。3日後に兵を引くので準備をしておくように。
そして3日後
ここで3日兵を休めたが宋軍が反撃に出てくる気配は無い。よって宋を懲戒するこたびの出兵は目的を果たした。明日にでも兵を引くわ。
こうして鄭、斉、魯の連合軍は解散、鄭軍は一路本国を目指したわ。
鄭軍侵入直後の宋都、商丘(現在の河南省商丘県)
宋殤公
くっ、まずいわね・・・鄭だけならいざ知らず斉と魯まで攻め込んでくるなんて・・・大司馬(軍務大臣)の孔父嘉よ、何か打つ手は無いの?
孔父嘉
宋の卿。前710年没。名は嘉、字は孔父。宋の大司馬。孔子の六世の祖。
現在の敵には勢いがあります、おそらく正面からぶつかっても勝てないでしょう・・・しかし、心配は要りません。これだけの兵を動員したということは本国は手薄ということです。鄭の王命を黙殺した衛と蔡に連絡して兵を合わせ、鄭都の新鄭を襲うべきです。実はこういうこともあろうかと既に話は通してあります。
そして衛では
右宰醜
おお、孔父嘉殿、お待ちしていました。我が軍は既に準備完了しています。蔡軍もまもなく到着するでしょう。
よし、鄭の主力が出払っている今がチャンス、一気に新鄭を攻める!
一方新鄭では
た、大変です! 北方より宋、衛、蔡の連合軍がこちらを目指して突き進んできます!
太子忽
荘公の子。公子忽。数々の戦いで軍を率い、斉に侵入した北戎を破るなど、太子としての地歩を固める。
いえ、敵には勢いがあり我が軍の主力は出払っています。ここは篭城すべきかと。
一方宋軍のほうでは
ちっ、さすがに挑戦に応じて出てくるようなことは無いか・・・やむをえない、城攻めにかかる。右宰醜殿、頼む。
その夜
孔父嘉殿、まずいぞ。どうやら新鄭にはあの祭足が残っているらしい。奴が残っていたのでは容易に城は落ちないぞ。
ふん、祭足何するものよ。攻めるだけ攻めてみる、泡を食って撤退することは無い。
いや、本国が攻められていると分かれば宋に侵攻している鄭軍も引き返すだろう。とりあえず目的は達成できた。これ以上長居をすると挟撃される。
・・・おかしい、敵もこちらの主力が帰って来るのを計算に入れるはず。遭遇しないためにはそろそろ兵を引かなければならないのにどうして撤退しない・・・
!そうか、戴国を迂回するつもりね。そうとなれば早速殿と戴の国君に連絡を。
・・・というわけで、道を変えて戴で敵軍を撃破するようにとのことです。
何!? ・・・鄭からの追撃は来ていないわね、こうなれば戴の城を攻め潰してやるわ!
よし、衛軍の右宰醜は討ち取ったわね。宋軍の孔父嘉はどうしたの?
いえいえ、当然のことですよ。それより今回は災難でしたね。今後このようなことが起きないように・・・
戴を我が鄭の一部にすることにしました。当然貴方は追放ということで。
・・・殿、戴を併合したようですが何故わざわざ?もともとあの国は我が国の属国同然です。併合などしなくても戴の国君から彼の取った税の上前をハネていたほうが楽ではないですか。
さて、次は許を征伐するわよ、今回と同じく斉と魯に援軍を要請してね。公子呂は・・・
そう、気をつけてね。今回は公孫閼と瑕叔盈を連れて行くわ。それでは出発!
そして許では
これは斉釐公殿に魯隠公殿。わざわざありがとうございます。お二方の助力があれば鬼に金棒、一気に許を攻め落としましょう。
こんな事故?はあったけど結局許は陥落、国君の許荘公は衛まで逃亡したわ。この後鄭荘公は許荘公の弟を許の国君にして鄭の大夫を送り込んで補佐するようにしたの。
ちなみに資料によっては公孫閼が前に出てきた潁考叔を射ち殺したという説もあるようね。今回は資料に使った本でこう書かれていたから再現したけど。
そして帰国後
・・・・・確か瑕叔盈は日ごろから公孫閼と仲が悪かったわね・・・確かな証拠は無いけどおそらく矢を放ったのは・・・いや、でも彼は彼で必要な人間だし・・・これ以上人材を失うわけにも・・・とはいえ公孫閼は私のお気に入り、怨みも晴らしたい・・・
・・・失礼します、病に伏せていた公子呂殿が亡くなられたとの知らせが・・・
なんてこと!? これでもう瑕叔盈を処罰はできなくなったわね・・・
いえ、なんでもないわ。それより公子呂はわが国の上卿(現在の首相)だったわ。後任は祭足にしたいのだけど、彼を呼んでくれる?
・・・申し訳ありません。それだけはお断りさせていただきます。どうしてもというならこの国を去りたいと思います。
(・・・まずいわね、この上太子まで廃されたらわが国の人材がいなくなってしまうわ。それにここで太子がムキになって反対したと高渠弥に知れたら・・・)
さて、こうして祭足が鄭の上卿になってすぐ魯から知らせが届いたわ。
報告します、魯にて国君の隠公が亡くなられ新君の桓公が即位されたとのことです。
ん?おかしいわね、確か彼は病気とかはなかったはずなのに・・・
華父督
宋の卿。前682年没。名は督、字は華父。公子説の子。
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