萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その25
さて、今回で萌える春秋戦国史も25回目ね。
さて、以前晋献公の息子、重耳と夷吾の2人が他国に亡命したのはご存知の通りですが晋の国内には正式に太子となった奚斉を支持するグループの他、重耳と夷吾を支持するグループが三つ巴の暗闘を繰り広げていました。
奚斉
晋国第二十代君主。前651年没。献公の子、母は驪姫。驪姫の策謀により申生に代わって太子となった。
ところが、不思議な事に、一番勢力が弱かったのは正式な太子の奚斉派だったのです。
なぜかと言うと、晋の有力貴族のほとんどが重耳、夷吾の2派に分かれたため、奚斉派には晋献公が死んだ後に後に立つ実力者がいなかったためです。
紀元前651年 晋都・絳
晋献公
(・・・みんなうわべだけだ。それに、私が病気になってから急に皆そわそわし始めた。・・・・・・奚斉は、奚斉は国を継げるのか・・・?)
この時、驪姫はしきりに重耳の亡命した狄の地に書を送ると同時に奚斉派の補強を図っていました。
惜しみなく金銭をばら撒いたり、領地を与える約束を連発したり・・・おかげで一番弱いと思われていた奚斉派もいくらか持ち直す事に成功します。
驪姫
荀息殿、お願いです。殿のお命はあといくばくもありません。奚斉を国外へ出してください。どうも望みが無いように思いますので・・・
・・・かしこまりました。奚斉様と、それから卓子様も国外に出しましょう。
どういうことですか、荀息殿!国外に逃れたはずの奚斉がどうして宮中に・・・!
・・・お尋ねしたい事は、こちらも山とあります。どうして、望み無しと知りながらここ数ヶ月の間、我が派閥のために尽力されたのですか?
お答えいただかなくても。おおよその察しはつきます。2派よりも3派の方が国が乱れますからな・・・
つまり、奚斉派が消滅して2派になれば均衡が取れやすくなる。条件が複雑な3派鼎立のほうが混乱する可能性が高いから、そうさせたってこと?
鼎の足を、急に1本もぎ取る・・・そういうつもりでしたな?ところが、貴方の思惑はいささか外れたようですぞ。
我が奚斉派が消える前の灯火のように勢いを盛り返したため、重耳、夷吾の2派は連合しましたぞ。
・・・連合すれば、この国は静まりますか?国の主は一人のはずです。
重耳?ふふふ・・・その重耳は戻ってこないよ。アハハ、アハハハハ・・・!
ええ、手を打ちました。数多く書状を送り、帰国の不利を教えておきました・・・
そうでした。でも、晋の太子であると共に我が子でもあったのです・・・
・・・奚斉様には、晋の太子としての運命を選んでいただきます。あなたはそのようなものはごらんになりたくないでしょう。
私が出来るのはここまでね・・・でも、私が死んでも、この恨みは消えない、晋はまだまだ乱れるわ・・・
こうして、驪姫は自殺しましたが、跡継ぎの問題は依然残ります。連合した重耳、夷吾派の総帥里克は有力大夫の丕鄭と手を組み、奚斉、卓子の2人を立て続けに殺しました。
里克
奚斉様、あなたに恨みはないがあなたが生きていては国がまとまらぬ、死んでもらう!
丕鄭
晋の大夫。前650年没。丕鄭父。晋の有力大夫の一人で、里克と行動を共にする。
この時荀息も2人に殉死する形で自決、晋の内乱は一応の終止符が打たれました。
里克はこの後、重耳の亡命した狄の地へ帰国を要請する使者を派遣しました。しかし・・・
紀元前650年 狄の地
趙衰
何も今苦労するために戻る事はありません。それに危険です。それは夷吾にやらせましょう。
胥臣
夷吾は疑い深く、人の好き嫌いが激しく、しかも吝嗇です。国を長く保てるわけがありません。
こうして、重耳は帰国を断ったため、夷吾に帰国要請が来ました。
紀元前650年 梁の地
郤芮
晋の大夫。前636年没。字は子公。郤豹の子、郤称の弟。冀芮。恵公の側近中の側近。夷吾(恵公)と常に行動を共にし、帰国して夷吾を位につけた。
呂甥
晋の大夫。前636年没。字は子金。瑕呂飴甥。陰飴甥。恵公派の大夫の一人で、郤氏の一族であるという。夷吾(恵公)の帰国を国内から支援し、帰国後も州兵を設けるなど策を献じた。本名は瑕呂飴甥というが、省略して呂甥または瑕甥と呼ばれる。また、陰飴甥とも呼ばれる。瑕・呂・陰は領地の名であるという。
国外から公子を迎えるならまず重耳さまに話が行くはず・・・それを差し置いてこちらに来るとは・・・
ふむ・・・であれば確かに絶好の機会・・・しかし、備えは怠ってはいけません。
隣国の秦穆公の夫人は殿の姉上・・・この縁を頼って秦の援助を取り付けるのです。それから、里克にも心変わりしないように恩賞を与えねば・・・
よし、では秦には即位の暁には河西(黄河の西の土地)の8つの城を与えると、それから里克には汾陽の地を与えるとしましょう。郤芮、さっそく秦へ向かうように!
こうして、夷吾は秦の援助を受け帰国、晋恵公として即位しました。
今回の死亡者
驪姫
献公の夫人。前651年没。驪戎の娘。おそらく驪戎の族長の娘であると思われる。驪戎討伐の際に妹と共に晋に連れて行かれ、献公の夫人となった。献公の寵愛を受けて奚斉を産み、晋に復讐すべく策謀をめぐらす。太子であった申生を自害させ、他の公子を他国に追いやるなど計画は半ば成功するが、献公の死後自殺した。驪は族名、姫は驪戎の姓。
奚斉
晋国第二十代君主。前651年没。献公の子、母は驪姫。驪姫の策謀により申生に代わって太子となった。献公が亡くなるとそのまま位についたが、里克に殺された。
卓子
晋国第二十一代君主。前651年没。献公の子、母は驪姫の妹。奚斉と共に献公の寵愛を受ける。奚斉が里克に殺されると荀息によって君に立てられるが、里克に殺された。
荀息
晋の大夫。前651年没。献公の腹心。士蔿が亡くなった後献公から最も信頼されるようになり、奚斉の守り役を任される。策を献じ、虢や虞を滅ぼすのに貢献する。君命を第一に考える人物で献公の命を守って奚斉を位につけ、最期は遺命に殉じて自殺した。