萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その33


さて、今回で萌える春秋戦国史も33回目ね。


作者多忙につき、遅れてしまったけど、今回からは通常ペースに戻るぜ。





さて、前回で晋文公に対する反対勢力は殲滅され、晋文公の地位は安定したの。このあと晋文公は論功行賞を行ったんだけど・・・


何かあったのか?


この論功行賞で恩賞を受けたのは文公と共に諸国を巡ってきた者たちだったんだけど、賎臣と呼ばれた下級の者たちまでは行き渡らなかったの。亡命中に文公を守った介子推にも恩賞は来なかったんだけど・・・


ふむふむ。


介子推
・・・殿の開運は天がなされた事。僕の役目は終わった・・・


こうして介子推は母親と共にひっそりと山へ隠れたの。彼の功績を晋文公が知るのは後のことね。




紀元前635年   晋都・絳


狐偃
殿!大変よ、周王都の洛陽で政変が起こったわ!


晋文公
え、また!?確か30年ほど前にも反乱騒ぎがあったのに・・・今度は何があったの?


第16話参照


今の周王は周襄王という人なんだけど、最近になって狄の地から皇后を迎えたのね。


周襄王
周王朝第18代目の王。在位年は紀元前652〜619年。狄の地から妃を迎えるが、それが原因で太叔帯の反乱を招く。


狄后
狄の地から周襄王に嫁ぐが・・・


ふむふむ。


この皇后に周王の弟の太叔帯が手を出したのね。当然周襄王はこれに怒って狄后を追放したんだけど・・・


太叔帯
周襄王の弟。狄后と密通し、王都で動乱を起こした。


それからどうなったの?


これに怒った太叔帯が狄の部族と手を組んで反乱を起こしたの。元々周王朝の軍事力は少なかったからあっという間に周襄王は敗れて鄭に亡命したわ。


つまり兄嫁寝取って開き直ったと・・・それなんて(ry


いやそれはいいから。


あれ?鄭は周王を助けようとはしていないの?


それが・・・以前周襄王と鄭文公は対立していたせいもあって助けようとはしていないみたいね。


となるとわが国の出番かな・・・




こうして、晋文公は王室の内紛に介入すべく準備を整えたの。ところが・・・



趙衰
殿、大変です!秦穆公が周王室の内紛に介入すべく出兵しました!既にわが国との国境まで進んでいるとのこと!


え!?それはまずい・・・どうしよう?


ここは狐偃殿に使者に行ってもらいましょう。今なら穏便にお引取り願えるはずです。


わかった。



・・・というわけで、周王室の内紛はわが国で片付けます。秦穆公の手を煩わせるほどのこともありません。


秦穆公
・・・わかりました、引き上げましょう。




こうして、秦軍を引き上げさせた後、晋文公は周に向け出兵したの。まずは鄭に立ち寄って周襄王を迎えた後、軍を二つに分けて侵攻を開始。片方の軍は欒枝、もう片方は郤穀の弟郤湊に率いさせたわ。


郤湊
郤穀の弟。晋文公の帰国後、取り立てられ晋の将軍となる。


この戦いはどうなったんだ?


結果から言うと晋の圧勝ね。晋軍は一気に侵攻して太叔帯のいた温という城に向かったんだけど、戦いになる前に太叔帯は城を捨てて逃亡したの。まぁ、すぐに追いつかれて討ち取られたんだけど。


早いな!?


晋軍に瞬殺される太叔帯



まぁ、この辺はあんまり見せ場もないから・・・


それで、その後はどうなったんだ?


そうね、この後周襄王は晋文公に褒美として南陽と呼ばれる地を授けたの。この地は狄の勢力範囲にも近いという事で政情不安だったんだけど、晋文公が治めるようになってからは安定したの。


ふむふむ。


そしてこの1年後、晋文公は国軍を強化して上・中・下軍の三軍を創設したの。これまでは小国が一軍(約一万二千五百人)、大国が二軍(約二万五千人)を持つのが礼とされたんだけど、晋は国力を強化して三軍を持てるようにしたのね。


つまり、この時点では晋が一番の強国ということか?


まぁ、南の楚や西の秦がいるから一概には言えないんだけど・・・あと、各軍の指揮官は以下の通りよ。



中軍  将:郤縠  副将:郤湊


上軍  将:狐毛  副将:狐偃


下軍  将:欒枝  副将:先軫



さて、こんな感じで三軍の編成も終わったんだけど、この年にある事件が起きるの。


一体なんだ?


それはこの後の展開を見てね。



紀元前634年   晋都・絳


ふー、ようやく落ち着いてきた・・・そろそろ外に出てもいいかな・・・ん、閹楚、ちょうどいいところに!外に出るから護衛をよろしく!


閹楚
はい、了解しました。


たまには外に出るのもいいね・・・おや、あれは何だろう?札かな?


何か書かれていますね・・・


龍、天にのぼらんと欲し、五蛇、輔けをなす。龍、既に天にのぼり、四蛇、おのおの字に入るも、一蛇、一人怨み、ついに処るところをみず。

これは一体・・・?


文章から見ると・・・殿は君主となり、5人の重臣のうち、4人は顕位についたが、1人は位につけず怨んで身を隠した・・・ということかしら・・



・・・・・・まぁいいか、とりあえず別のことを考えよう。実はこの前周の内乱を鎮めた功績で、原という大きな都市を貰ったんだけど・・・誰に授ければいいかな?


私には難しい事は・・・ですが、以前こういうことがありました。殿が斉に向かうとき、趙衰殿はどんなにひもじくても手に入れた食料に先に手をつけることはしませんでした。


そう・・・では、原は趙衰にあげよう!


・・・ですが、趙衰殿に原を授けられるなら、その倍の大きさの都市を受け取ってもいい者がいますよ。


え?趙衰の忠義に勝る者がいるの?


殿はご存じないのです、殿があの時飢え死になさらなかったのは、私に斬られずに斉にたどり着けたのはその者がいたからです。


!まさか・・・あの札に書かれていたのは・・・


そういえば・・・そうかもしれません・・・


その者の名前は・・・


介子推・・・でも、位の低い賎臣なので殿の目には留まらないのも無理は無いかと。


その者の働きを、話して!


はい。


説明中


ああ・・・そんな働きをした者に私は何も報いることが出来なかったなんて・・・すぐに戻り、介子推を探し出すよう布告をしないと!



そして数日後。

晋軍将校
殿、介子推殿と思われる人物を緜上の山中で見かけたとの報告がありました!


よし、私も緜上に向かうよ!



こうして、晋文公は多数の従者と共に緜上に出かけて介子推を探したけれど、とうとう見つからなかったの。



出てきてはくれないの・・・仕方ない、この緜上の地を介子推の領地として、あの山を介山と名づけよう。こうすることで私の間違いを示し、善行のあったものを賞するんだよ。







今回はここまでかな?


そうね、次回からは南方の大国との激突が書かれるわよ。


それでは、また次回に。



今回の退場者


太叔帯
周襄王の弟。狄后と密通し、王都で動乱を起こしたが、晋軍の急襲を受け、討ち取られた。


介子推
晋の下級貴族。公子重耳を慕って狄の地へ行き、孤偃の配下となる。放浪中の重耳を守り、陰で激闘を繰り広げた。晋文公の即位後は緜上の地に隠れ、死ぬまで世に表われなかったという。




なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。


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