萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その37

さて、今回で萌える春秋戦国史も37回目ね。


今回は第3部に出てきた登場人物をまとめるとのことだぜ。








まずは第3部の主役だった晋の登場人物ね。





晋文公
姓は姫、諱は重耳(ちょうじ)、諡は文。晋の公子であったが、国内の内紛をさけて19年間諸国を放浪したのち、帰国して君主となって天下の覇権を握り、斉の桓公と並んで斉桓晋文と称され、春秋五覇の代表格とされる。第3部の主人公。



狐偃
重耳の側近。字は子犯。娘が文公に嫁いだことから舅犯、または咎犯と呼ばれる。晋文公と共に諸国を回り、帰国後も文公を支えた。城濮の戦いでは上軍の佐に任命された。晋文公が亡くなる前年に病死したといわれる。



狐毛
重耳の側近。狐偃の兄。才気煥発な弟狐偃に比べて、兄の狐毛は温厚な性格で鋭すぎる弟を抑える役回りであったという。城濮の戦いでは上軍の将に任命された。


趙衰
重耳の側近。驪姫の策謀を避けて出奔した重耳に従い、諸国を放浪した。文公とは遠縁にあたる。帰国後も文公を支え、卿に任命された。



魏犨
重耳の側近。若い頃から重耳に仕え、後に重耳が亡命、流浪の旅に出た際も、常に護衛として重耳を守り続けた。



胥臣
重耳の側近。知識に優れ、亡命中の重耳たちを助ける。城濮の戦いでは下軍の佐に任命された。後に野に身を隠していた郤缺を発見、推挙した。



先軫
重耳の側近。優れた武勇が狐偃の目に留まって重耳に仕える。後の城濮の戦いでは中軍の将に任命され、その後も晋の宰相として働いた。



欒枝
晋の大夫。晋の名門欒氏の総帥。晋懐公を見限り、重耳側に寝返った。後の城濮の戦いでは下軍の将に任命された。



郤穀
晋の大夫。郤氏の傍流ではあるが、無欲な人物で兵法の研鑽に力を注いでいた。本家の郤芮らとはおりあいが悪く、晋懐公を見限り、重耳側に寝返った。後に晋軍の元帥となるが、衛を攻撃中に病死する。



郤湊
郤穀の弟。晋文公の帰国後、取り立てられ晋の将軍となる。



介子推
晋の下級貴族。公子重耳を慕って狄の地へ行き、孤偃の配下となる。放浪中の重耳を守り、陰で激闘を繰り広げた。晋文公の即位後は緜上の地に隠れ、死ぬまで世に表われなかったという。



閹楚
晋の宦官。勃鞮、寺人被とも呼ばれる剣の達人。晋公の命でたびたび重耳を狙うが、帰国した晋文公に郤氏の反乱の計画を密告、許されて文公に仕えた。



荀林父
晋の大夫。游敖の子、荀息の孫。晋文公の帰国後、才を買われて文公の御者となった。第4部にも登場予定。



士会
晋の大夫。士蔿の孫。晋の名家士氏の末子。末子という立場上家を継げる立場には無かったが、後に文公に見出され、車右となった。第4部にも登場予定。



狐射姑
狐偃の子。賈季と呼ばれる。第4部にも登場予定。



郤缺
郤芮の子。父と違い、温厚な人柄で人望も厚かった。晋文公の帰還後、父の企てた反乱に参加、消息不明となるが、胥臣に発見され、再び晋に仕えることになった。第4部にも登場予定。



狐突
狐偃、孤毛の父で狐氏の長老。晋献公、晋恵公、晋懐公に仕える。息子たちを呼び戻すよう晋懐公に命令されたが拒否して殺された。




晋武公
曲沃の第三代君主。後に晋侯となる(第十八代君主)。在位年は前715〜677年。名は称。荘伯の子。度々翼を攻め、哀侯・小子侯・晋侯緡を殺し、翼を滅ぼした。周室に賄賂を贈って晋侯として認められ、代々の悲願を果たした。



晋献公
晋国第十九代君主。在位年は前676〜651年。名は詭諸。武公の子。武公の子で、内乱後に即位した最初の君主。近隣の国々を攻め滅ぼし、晋が超大国となる基盤を築いた。しかし、驪姫を寵愛して後の乱の原因を作る。なお、武公には他に伯喬(羊舌氏の祖)という子があるので、献公は次男または三男であったと思われる。



晋恵公
晋国第二十二(二十)代君主。在位年は前650〜637年。名は夷吾。献公の子、母は小戎子。公子夷吾。献公の子で有力公子の一人。郤氏の補佐を受ける。驪姫の乱が起こると晋の隣国である梁に逃れた。秦の穆公の力を借りていち早く帰国し、周や斉に認められて即位する。しかし、秦との約束を破り戦争になったり、申生の夫人であった賈姫に通じるなど、君主としてふさわしくない行動が多く、乱れた晋国を安定させることができなかった。



申生
晋の公子。前656年没。諡は共、または恭。献公の子、母は斉姜。太子申生。共太子。献公の太子であったが、驪姫の策謀により罪を着せられ、自殺した。孝子として知られ、驪姫の策に気付きながら最後まで父に逆らうことは無かった。



奚斉
晋国第二十代君主。前651年没。献公の子、母は驪姫。驪姫の策謀により申生に代わって太子となった。献公が亡くなるとそのまま位についたが、里克に殺された。
 

卓子
晋国第二十一代君主。前651年没。献公の子、母は驪姫の妹。奚斉と共に献公の寵愛を受ける。奚斉が里克に殺されると荀息によって君に立てられるが、里克に殺された。



驪姫
献公の夫人。前651年没。驪戎の娘。おそらく驪戎の族長の娘であると思われる。驪戎討伐の際に妹と共に晋に連れて行かれ、献公の夫人となった。献公の寵愛を受けて奚斉を産み、晋に復讐すべく策謀をめぐらす。太子であった申生を自害させ、他の公子を他国に追いやるなど計画は半ば成功するが、献公の死後自殺した。驪は族名、姫は驪戎の姓。



郤芮
晋の大夫。前636年没。字は子公。郤豹の子、郤称の弟。冀芮。恵公の側近中の側近。夷吾(恵公)と常に行動を共にし、帰国して夷吾を位につけた。有能な人物だが、恵公を諌めるということがなく、国内をうまく治めることができなかった。冀に領地をもっていたので冀芮とも呼ばれる。文公を殺そうとしたが、失敗して殺された。



呂甥
晋の大夫。前636年没。字は子金。瑕呂飴甥。陰飴甥。恵公派の大夫の一人で、郤氏の一族であるという。夷吾(恵公)の帰国を国内から支援し、帰国後も州兵を設けるなど策を献じた。本名は瑕呂飴甥というが、省略して呂甥または瑕甥と呼ばれる。また、陰飴甥とも呼ばれる。瑕・呂・陰は領地の名であるという。文公を殺そうとしたが、失敗して殺された




里克
晋の大夫。前650年没。里季子。晋の有力大夫。申生や重耳、夷吾ら公子に同情的で、驪姫を憎む。献公が亡くなり荀息が奚斉を立てると奚斉を殺し、さらに卓子が位につくとこれも殺した。国外に出ていた公子夷吾(恵公)を晋君に迎えるが、その恵公に殺されてしまった。力はあるが、何事においても詰めの甘い人物。



丕鄭
晋の大夫。前650年没。丕鄭父。晋の有力大夫の一人で、里克と行動を共にする。恵公の即位後、秦の穆公の力を借りて郤芮らを除こうとしたが、郤芮に計画を見抜かれて他の里克派の大夫と共に殺された。



荀息
晋の大夫。前651年没。献公の腹心。士蔿が亡くなった後献公から最も信頼されるようになり、奚斉の守り役を任される。策を献じ、虢や虞を滅ぼすのに貢献する。君命を第一に考える人物で献公の命を守って奚斉を位につけ、最期は遺命に殉じて自殺した。


賈華
晋の大夫。前650年没。右行。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。里克一派の勢力を除こうとした郤芮に殺された。


共華
晋の大夫。前650年没。左行。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。丕鄭は里克が殺されたことを知り、共華に帰国の可否を尋ねた。共華は恵公派の動きに気付かず安全だと答えたが、丕鄭は帰国後殺されてしまった。それを気にした共華は危険を承知で国内に留まり、郤芮に殺された


叔堅
晋の大夫。前650年没。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。里克一派の勢力を除こうとした郤芮に殺された。

 
騅顓
晋の大夫。前650年没。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。里克一派の勢力を除こうとした郤芮に殺された。

 
纍虎
晋の大夫。前650年没。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。里克一派の勢力を除こうとした郤芮に殺された。


特宮
晋の大夫。前650年没。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。里克一派の勢力を除こうとした郤芮に殺された。



山祁
晋の大夫。前650年没。七輿大夫の一人。里克・丕鄭の与党で、元は申生の部下。里克一派の勢力を除こうとした郤芮に殺された。



士蔿
晋の卿。字は子輿。隰叔の子または孫。献公の腹心。献公の命で桓・荘の族を滅ぼし、その功により大司空の官職を賜った。



丕豹
丕鄭の息子。丕鄭が晋恵公らに討たれた後、秦に亡命した。



慶鄭
晋の大夫。前645年没。秦が飢饉になった際に、穀物を与えて秦の穆公への恩を返すべきだと主張する。韓原の戦いでは恵公を見限り、晋が大敗する原因を作った。



司馬説
晋の大夫。司馬は官職名。



韓簡
晋の大夫。賕伯の子、韓万の孫。数少ない晋の公族の一人。韓原の戦いでは晋軍の別働隊を指揮した。



梁由靡
晋の大夫。韓原の戦いで韓簡と共に別働隊の指揮を執った。

次は秦ね。ここは次の第4部でも出てくる人が多いかな?



秦穆公
秦の第9代君主。姓は嬴(えい)。諱は任好(じんこう)。徳公(第6代)の子で成公(第8代)の弟。兄弟相続により秦公となる。優秀な家臣に補佐され、また百里奚や蹇叔等の異邦の異才を登用して国力を増強させた。第4部にも登場予定。



公孫枝
秦の大夫で公室の一員、秦穆公の下で謀臣として活躍した。


公子縶
秦の大夫で公室の一員、秦穆公の下で謀臣として活躍した。



百里
第9話より登場。諸国を遊説して回る浪人。16話終了時に西方の国虞に仕官する。虞が秦に滅ぼされた後、紆余曲折を経て秦穆公に仕えた。百里奚は徹底した徳政を行い、周辺諸国を慰撫する政策をとった。これにより周辺の10カ国が秦に服属することを申し出で、百里奚は文字通り千里(1国=百里、10国=千里)を拓き、国力を大いに増大させた。


蹇叔
第9話より登場。斉の貴族の次男坊。百里渓と共に諸国を巡るが、16話で別れることになった。後に紆余曲折を経て百里渓と共に秦穆公に仕えた。



孟明視
秦の大夫。百里奚の嫡子。秦軍を率いて城濮の戦いに参戦した。第4部にも登場予定。



白乙丙
秦の大夫。蹇叔の嫡子。秦軍を率いて城濮の戦いに参戦した。第4部にも登場予定。



西乞術
秦の大夫。蹇叔の子。秦軍を率いて城濮の戦いに参戦した。第4部にも登場予定。




次に楚だな。この国も第4部でもちょくちょく出てくるぜ。



楚成王
楚の第20代目の君主。在位年は紀元前672〜626年。楚の国力を強大化させ、中原進出を目論む。亡命中の公子重耳を礼遇したりするなど、名君といえる人物。




子玉
楚の将軍。楚成王に仕え、後に城濮の戦いで晋文公と戦ったが、戦いに敗れた後に楚成王の怒りに触れ、自決を強いられる。


子西
楚の大夫。城濮の戦いで晋文公と戦ったが敗れた。後に事件に巻き込まれ粛清される。


子上
楚の大夫。城濮の戦いで晋文公と戦ったが敗れ、戦死する。




宛春
楚の大夫。城濮の戦いの前に、子玉に策を伝え、晋軍への使者へ立つが、晋に捕縛された。後に捕虜交換で帰国したと思われる。




その他の国の人物は以下の通りね。



曹共公
曹国第十六代君主。在位年は前652〜618年。名は襄。昭公の子。晋の公子重耳の肋骨が一枚骨であることを聞き、重耳の湯浴みを覗いた。曹は小国であるにもかかわらず、共公が任命した大夫の数は三百人を越えていたという。暗君。後に晋に攻撃され、退位させられたが政治的配慮によって復位した。



于朗
曹の大夫。曹共公をそそのかして重耳に無礼を働いた。後に晋と楚の戦いの際晋軍に捕らえられ処刑された。



宋成公
宋国第二十一代君主。在位年は前636〜620年。名は王臣。襄公の子。父の死後、一時は楚に従ったが、晋の文公が即位した後は一貫して晋に味方した。



魯釐公
第18話より登場。魯国第18代目の君主。公子申。魯荘公死後の政変の後、季友によって擁立された。斉桓公の死後、楚に付く。



公子買
魯の公子。魯軍を率いて衛の救援に向かい、晋軍と戦ったが、救援を果せずに責任を追及され殺された。



衛成公
名は鄭。在位前635〜前632、前630〜前600。衛の文公の子。文公が亡くなると、跡を継いだ。成公三年(前632)、晋が衛に道を借りて宋を救援したいと申し出たが、許可しなかった。そのため晋軍に攻められ、退位を余儀なくされる。その後幽閉されたり殺されかけたりしたが、何とか復位した。



衛文公
衛国第19代目の君主。滅亡しかけた衛の復興に力を注ぎ、国力を回復させた。このため、国内は良く治まったものの立ち寄った晋文公を礼遇しなかったため、後に災いを招く事になった。



寧遠
衛の宰相。衛文公の下で復興に力を注いだ。



周襄王
周王朝第18代目の王。在位年は紀元前652〜619年。狄の地から妃を迎えるが、それが原因で太叔帯の反乱を招く。



太叔帯
周襄王の弟。狄后と密通し、王都で動乱を起こしたが、晋軍の急襲を受け、討ち取られた。


崔夭
斉の大夫。斉軍を率いて城濮の戦いに参戦した。




今回はここまでかな?


そうね、次回からは第4部に入るとのことよ。


それでは、また次回に。




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し〜くれっとも〜ど様