萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その44
さて、今回で萌える春秋戦国史も44回目ね。
今回は・・・春秋時代屈指のネタ事件を書く予定だぜ。
さて、前回は楚荘王が政治に本腰を入れたところまで進んだわね。この時楚に近い位置にある鄭は楚の盟下にいたんだけど、楚荘王は鄭に命じて宋を攻撃させたの。
この時期の鄭は晋と楚にかわるがわる援助を頼んでいるような状況だったので楚に信用されていなかったという事ね。さらに言うと当分この状態が続くんだけど・・・
まぁまぁ、大国にはさまれた小国って大変なのよ。 隣国の宋は同じような状況だけどずっと晋についてるけどさ。
そういうこと。この時鄭は宰相の公子帰生が軍を率いて宋に進軍したわ。これに対して宋軍は華元が迎撃の兵を率いたの。
公子帰生
鄭の卿。前599年没。穆公の代に正卿として政治を執り、晋・楚に挟まれた難しい情勢に対処した。後に公子宋とともに主君の霊公を殺したことから子家の死後一族は国外に追放されてしまった。「左伝」では、公子宋の霊公弑逆を止めることができず、これに同調したことから「権」が足りないと評されている。おそらく文公の子。
紀元前607年 宋・大棘
ふっふっふ・・・このまま進んで鄭軍とぶつかればこちらは高地に陣取った状態で戦えるにょろ。明日の勝利はもらったにょろー!
あ、そうだ、皆に元気を出してもらうために全軍に羊の肉をふるまうにょろ!
こうして、華元は宋軍の士気を上げるために羊の肉を振舞う事にしたの。ところが・・・
えっ!? ・・・しまったにょろ、うっかりしてたにょろ・・・もう皆食べ終わっちゃったし・・・申し訳ないけど、今回は我慢して欲しいにょろ。
・・・なんで私だけ食べられないの?おかしいんじゃないかな?カナ?
華元の兵車の御者を務める羊斟だけが何故か羊を食べられなかったの。
さてそんなこんなで次の日、公子帰生率いる鄭軍と華元率いる宋軍がぶつかる事になったの。ところが・・・
よーし、こちらは有利な位置に陣取ったし、士気も十分、一気に鄭軍をやっつけるにょろー!
あ、あれ?まだ突撃命令は出していないのに兵車が暴走してるにょろ?
・・・昨日の食事は殿が取り仕切ったけど、今日の戦は私が取り仕切らせてもらうのカナ?カナ?
なんと華元の兵車が暴走、単独で鄭軍の本陣に駆け込んでしまったの。
鄭軍本陣
にょろーん・・・
よく分からないが敵の総大将がいなくなった今こそチャンス、攻撃だ!
さて、この後宋文公は鄭に贈物をして華元を取り戻そうとしたが、華元は贈物が鄭に半分届いた段階で鄭を脱出したわ。
宋都・商丘
いや、生きて帰ってくれただけで十分だ。今日はゆっくり休むといい。
ドン
この後羊斟はそのまま魯に亡命したわ。さて、この2年後のことなんだけどなんと似たような事件が大棘の戦いの勝者公子帰生の身辺で起こるの。この少し前に鄭穆公が亡くなり、子の鄭霊公が即位したわ。この時楚荘王は即位祝いに巨大なスッポンを贈ったの。
早速鄭霊公はそれを調理して振舞おうとしたの。それとは知らずに公子帰生は仲の良い公子宋と一緒に参内したんだけど・・・
紀元前605年 鄭都・新鄭
いやね、今日館を出る前に食指(人差し指)が動いたのよ。こういうことがあると必ずおいしいものにありつけるのよ!
無いと言ったら無い。・・・おい、そのスッポンは公子宋には与えるな。
そうね。このあと公子宋は仲の良かった公子帰生を誘って兵を挙げ、鄭霊公を殺害してしまうの。
このあと鄭では霊公の弟に当たる公子堅が鄭襄公として即位するんだけど、特に目立たない人だからアイコンは無しの方向で。
さて、今回はとりあえずここまでね。次回は晋と楚、双方で起きた事件を扱う予定よ。
今回の死亡者
鄭霊公
鄭の君主。姓は姫。諱は夷。穆公の子。若い頃から楚への人質として送り込まれ、楚の太子旅(のちの荘王)の知己を得る。父穆公の死後は即位して霊公となり、それまでの親晋外交を親楚に切り替えようと画策し、宰相子家や子宋らと対立する。在位わずか半年後、スッポン事件に巻き込まれて殺された。
なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。