萌える春秋戦国史  「しゅん☆じゅう」 その45

さて、今回で萌える春秋戦国史も45回目ね。


今回は晋と楚、双方にスポットを当てていくぜ。








さて、まずは晋の方に目を向けていくわね。この時代、南方の楚では楚荘王が即位して国力の強化に当たっていたんだけど、晋の方では君主の霊公が暗君だったためもあって有効な対策が取れなかったの。


あ、それで鄭が楚についたり盟下の宋が敗戦した時も救援が出来なかったのか。


そういうことね。こうした状況を憂いた宰相の趙盾は度々霊公を諌めたんだけど、逆に霊公は趙盾を邪魔に思って暗殺をしようとしたの。


おいおい。


幸い趙盾は暗殺の危機を脱したんだけど・・・


趙盾
もう私のできることはないですね・・・


こうして趙盾は他国へ亡命しようとしたの。ところが・・・


何かあったのか?


直後に趙盾の一族趙穿が挙兵、霊公を討ち取ってしまったの。


趙穿
趙盾の一族。趙盾が霊公に追われた際、挙兵して霊公を殺害した。


少し頭・・・冷やそうか・・・



う、うわぁぁ!?




その頃・・・


なんですって、殿が・・・!?こうしてはいられません、都に戻ります!


この後趙盾はいそいで都に戻り、霊公の後に晋成公を擁立したの。ところが、ここで一つ事件が起きたの。


一体何があったんだ?


晋の史官である董狐が晋の史書に「趙盾その君を弑す」と記録したの。当然これに趙盾が抗議したんだけど・・・


これはどういうことですか!私は殿を殺してはいませんよ!


董狐
晋の史官。君主の霊公が殺されたとき、大臣の趙盾(ちょうとん)が殺した、と記録した。



・・・あなたは霊公が殺された後、国境を出ずに帰ってきた。すなわちその時点であなたはまだ晋の正卿であるのだから反逆者である趙穿を誅する義務があった。それをしなかったのだから自らが弑したのと同じです。


くっ・・・


この後の紀元前601年、趙盾は宰相の座を郤缺に譲って引退したわ。


ふむふむ。


ところで、この時殺された霊公には屠岸賈という寵臣がいたの。


屠岸賈
ううっ・・・どうしてこんな事に・・・いつか必ず思い知らせてやる・・・


何かアイコンからしてやばい雰囲気だなおい。


とはいえ、この直後は特に何もなかったんだけどね・・・



郤缺の屋敷


士会
郤缺殿、この度はおめでとうございます。


郤缺
・・・しかし、謀反人の子である私が宰相の座につけるとは・・・


これもあなたの徳のなせる業ですよ。


ありがとう。・・・そうだ、あなたに一つ頼みがあります。


何ですか?


私はもう年です。あなたに息子の郤克を教育して欲しい。・・・あれは幼い頃に大病をして障害を持ってしまっています。だが、それに負けずに文武に邁進している。きっと役に立つでしょう。


郤克
郤缺の子。幼少時に大病を患い、身体に障害が残ってしまったが、それを克服すべく文武に邁進する。後に・・・


わかりました。


・・・南の楚王は先ごろとうとう洛陽に兵を出したようね・・・いずれ私とあなたで兵を出さねばならなくなるでしょう。


・・・・・・



この楚が洛陽に兵を出したってのはどういうことだ?


あ、それはこれから説明していくわね。時代は遡って紀元前606年、楚荘王は南方諸国を従えた勢いをかってとうとう周王朝のお膝元である洛陽まで兵を進めたの。




紀元前606年  洛陽


周王朝第21代目の周定王だお!



やっと俺達のアイコンが使用されたんだろ・・・ところで、さっそく一大事の報告があるんだが。


一体なんだお?


楚荘王の大軍が領内に侵入してきたぞ。


         ___
        /⌒  ⌒\         ━━┓┃┃
       /(  ̄)  (_)\         ┃   ━━━━━━━━
     /::::::⌒(__人__)⌒:::: \         ┃               ┃┃┃
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    \   。≧       三 ==-
        -ァ,        ≧=- 。
          イレ,、       >三  。゚ ・ ゚
        ≦`Vヾ       ヾ ≧
        。゚ /。・イハ 、、    `ミ 。 ゚ 。

ちょwwwおまwwwwこりゃ周王朝オワタwwww


王よ、お待ちください。私が楚の陣営に赴いて時を稼ぎましょう。


王孫満
第38話に登場した周の臣。


おお、王孫満、まかせたお!


(ちったぁ自分で何とかするとか考えろよjk・・・)



楚軍陣営


楚軍兵士
殿、洛陽より使者が来ています。


楚荘王
ふーん?一体何の用かしらね・・・まぁいいわ、通しなさい。


・・・先王の葬儀が終わったこの時にわざわざわが国へおいでくださりありがとうございます。皆様をねぎらうよう王より命令を受けて来ました。ですが、王に見えようとするなら軍をここにとどめて将校だけにしていただきたい。ご案内しましょう。


・・・べつに今日は周王に会いに来たわけじゃないわ。それより一つ聞かせなさい。


一体なんですか?


古の禹王が造らせ、王位の象徴として夏、殷、周に伝えられた九鼎は確かまだ洛陽にあるはずね?それの大きさ、重さを教えなさい!


何故そのようなことを聞かれます?


場合によっては、それを楚に持ち帰るつもりだからよ。大きさと重さが分からないんじゃ運べないしね。


!・・・いえ、九鼎は天命のままに移り動き、天命は有徳の王に下ります。力で持ち運びできるものではありません。


そんなことを聞いているんじゃないわ。大きさと重さを教えなさい、って言っているの!


徳のない国に天命は下らず、天命を受けなければ九鼎は小さくても重くて動かせません。天命を受ければ、九鼎はたとえ大きくても容易に動かせます。そして、まだ天命はわが周王朝から去ってはいません。


ふん、天命ね・・・だけど覚えておきなさいよ、こっちがその気になれば楚にある武器の一部を溶かしただけでも九鼎くらい造って見せるわ!


・・・・・・


こうして楚荘王は洛陽から撤退したの。この故事から相手の価値を疑う事を「鼎の軽重を問う」と言うようになったわ。


ふむふむ。

   


今回はここまでかな?


そうね、次回からは晋と楚の戦いを書いていく予定よ。


それでは、また次回に。



今回の死亡者


晋霊公
姓は姫、諱は夷皋。晋襄公の子。幼くして趙盾に擁立された。当初は趙盾の言うことをおとなしく聞いていた霊公だが、長ずるに従い趙盾に逆らうようになり、趙盾が諌めても聞こうとしなかった。後に趙盾の従兄弟の趙穿は趙盾に対する扱いに怒り、霊公を殺した。






なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。


ぶらんけっと様
眠りの園様
まこっちゃん記様
し〜くれっとも〜ど様