萌えるフォークランド紛争

というわけで、本日は歴史ネタの第4弾をやろうと思います。さすがに前回は政治的にヤバ過ぎたので今度は穏当な方面でフォークランド紛争を。


1/28  一部キャストを交換



萌えるフォークランド紛争


あらすじ
南アメリカ大陸のほぼ南端から約500km沖合いの大西洋に位置するフォークランド諸島。この島が歴史に登場するのは16世紀の事である。この島にはイギリス、フランス、スペインが相次いで入植と撤退を繰り返していたが。1816年にスペインから独立したアルゼンチンは同時にマルビナス諸島(アルゼンチンではこの島をそう呼んでいた)の領有権も継承したと主張して、この島に総督を派遣した。しかし、1829年アメリカ軍が上陸し諸島の中立を宣言、続いて1833年にはイギリスが再占領するなどして以降領有権を巡って対立することになる。しかし当時のイギリスとアルゼンチンの国力差は歴然としており、対英関係の悪化は彼らにとって自殺行為であった。この情勢は20世紀まで続くことになる。


第二次世界大戦後、アルゼンチンの大統領フアン・ペロンによって外務省に南極・マルビナス課を新設され、マルビナス諸島返還運動が開始された。アルゼンチンは1950年代までは穀物輸出から得られる外貨によって先進国並みの生活水準を誇っていたものの、フアン・ペロン元大統領派と軍部による20年以上にも及ぶ政治の混乱が、国民生活を深刻な状況に陥れていた。1976年に誕生した軍事政権は、元大統領派を徹底的に弾圧し、3万人が行方不明になったといわれる。経済状況が一向に改善しないにもかかわらず、こういった政争に明け暮れる政権に対して民衆の不満はいよいよ頂点に達しようとしていた。こうした国民の不満を逸らす目的もあり、1982年には軍事政権を引き継いだレオポルド・ガリチェリ大統領がフォークランド諸島に対する武力行使に打って出ることになる。アルゼンチン軍は1982年4月にフォークランド諸島に上陸、守備に当たっていた海兵隊を降伏に追い込んだ。


そしてもう一方の当事者イギリスであるが、第二次世界大戦後は全世界規模の膨大な戦費と植民地の独立によってイギリス経済は低迷を続けていた。1979年には「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーが首相に就任するも、失業者が増加を続け、相次ぐ労働争議などにより国民の支持を失いつつあった。こうした状況下でイギリスは従来の立場を一変させ、フォークランド諸島の条件付返還を撤回、態度を硬化させた。アルゼンチン軍の侵攻が開始されると大規模な機動部隊を編成、フォークランド諸島奪還の構えを見せた。


フォークランド諸島を巡る戦いはイギリス海軍到着後の1982年5月に本格化した。当初アルゼンチン空軍は航空攻撃によってイギリス海軍駆逐艦「シェフィールド」をはじめとした艦船を撃沈、善戦したが海軍は開戦直後に巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を撃沈され、ほとんど動きを封じられてしまった。イギリス軍は地力に勝る陸軍、空軍力と情報力をもってアルゼンチンの戦力を徐々に削っていき、6月にはにはフォークランド諸島に地上部隊を上陸させた。イギリス軍は最大の都市である東フォークランド島のポートスタンレーを包囲し、14日にはアルゼンチン軍が正式に降伏。戦闘は終結した。戦後アルゼンチン大統領レオポルド・ガリチェリは敗戦に激怒する民衆の暴動を鎮めるため辞職を余儀なくされた。対して勝利したイギリスではサッチャー首相の人気が急上昇するなど完全に明暗を分けることになった。その後1989年10月にアルゼンチン、イギリス両国は開戦以来の敵対関係の終結を宣言し、翌1990年2月5日に両国は外交関係を正式に回復した。しかし両国は現在も自国の領有権を主張し続けている。



両軍の被害
この戦闘の結果、イギリス軍は 駆逐艦「シェフィールド」「コヴェントリー」、フリゲート艦「アーデント」「アンテロープ」、輸送艦「アトランティック・コンベイヤー」、補給揚陸艦「サー・ガラハド」を喪失、その他ハリアー7機、ヘリ11機、戦死256名、負傷者777名の被害を出した。アルゼンチン軍の被害は巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」、航空機83機、戦死者746名、負傷者1336名である。


主な登場人物(イギリス)


マーガレット・サッチャー 
フォークランド紛争当時のイギリス首相。アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵攻に対し、間髪をおかずに艦隊と爆撃機を派遣し、多数の艦艇を失ったものの2ヶ月の戦闘の結果アルゼンチンを放逐した。この際に、「人命に換えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」と発言した。

「この内閣に男は一人しかいないのですか!」(フォークランド戦争開戦に反対する閣僚たちにむかって)


サンディ・ウッドワード 
イギリス海軍少将。フォークランド諸島に派遣された機動部隊の司令官。アルゼンチン軍の激しい攻撃を受けながらもフォークランド諸島周辺の制海権、制空権を維持することに成功する。


J・J・ムーア 
イギリス陸軍少将。フォークランド諸島上陸部隊司令官。補給物資の不足に苦しみながらもアルゼンチン軍の防衛線「ガリチェリ線」を突破、アルゼンチン軍を降伏に追い込む。


J・H・トムソン 
イギリス陸軍准将。第3海兵コマンド旅団司令官。上陸部隊の第一波としてフォークランド諸島に上陸。


M・J・A・ウィルソン 
イギリス陸軍准将。第5歩兵旅団司令官。フォークランド諸島への増援部隊を率いる。


シェフィールド艦長 
イギリス駆逐艦「シェフィールド」艦長。フォークランド諸島南方で哨戒任務中、炊事場にアルゼンチン軍のエグゾゼ空対艦ミサイルの直撃を受ける。ミサイル自体は不発だったもののロケット・モーターの噴射炎がフライを作っている最中の揚げ物油に引火、大火災を起こして「シェフィールド」は沈没。この結果機動部隊全体に揚げ物禁止令が出た。
「何でなんですか、何で燃えてるんですかー!?」




主な登場人物(アルゼンチン)


レオポルド・ガリチェリ 
フォークランド紛争当時のアルゼンチン大統領。元は陸軍総司令官だったが軍事政権を引き継ぎ、大統領に就任。国内の反政府運動の悪化などもあり、反体制的な不満の矛先を逸らせるためフォークランド諸島侵攻を計画。
「・・・・・一世紀半を経過し、マルビナス諸島を巡る問題はいよいよ耐え難くなりつつある!」


ホルヘ・アナヤ 
フォークランド紛争当時のアルゼンチン海軍総司令官。フォークランド諸島制圧は順調に進むものの、紛争初期に巡洋艦「ヘネラル・ベルグラノ」を失い、また準備不足と原子力潜水艦の脅威のためアルゼンチン艦艇は積極的な行動を起こせなかった。


バジリオ・ラミドゾ 
フォークランド紛争当時のアルゼンチン空軍総司令官。不利な状況下ながらアルゼンチン空軍のの航空作戦を指揮し、イギリス軍を苦しめる。


マリオ・メネンデス 
アルゼンチン陸軍少将。マルビナス諸島守備隊総司令官。イギリス軍の上陸部隊に善戦するも実戦経験に乏しいアルゼンチン軍は力尽き、降伏する。


オマール・パラダ 
アルゼンチン陸軍少将。第3機械化歩兵旅団司令官。この部隊は要衝ポート・ダーウィンなどに展開していた。


オスカル・ヨッフレ 
アルゼンチン陸軍少将。第10自動車化歩兵旅団司令官。この部隊は要衝ポート・スタンリーなどに展開していた。


アルゼンチン軍航空隊 
当時アルゼンチン軍は空・海合わせて約220機の航空機を装備し、数ではイギリス軍を圧倒していた。しかし、いくらか旧式のものも混ざっており、何より基地と戦場の距離(1000キロ)があったため、不利な状況にあった。しかし彼らは新型のエクゾゼ・ミサイルだけでなくスカイホーク攻撃機による反跳爆撃も駆使してイギリス機動部隊に損害を与えることに成功する。