萌える春秋戦国史「しゅん☆じゅう」 その13
さて、今回で萌える春秋戦国史も13回目ね。有明のお祭があった割には早かったけど・・・
曹沫
さて、宋閔公も逃げ出したし宋軍も無事壊滅させました。さっそく曲阜に帰還しましょう。
欧孫生
ところで捕虜にした南宮長万はどうしますか?牢に放り込んで・・・
魯荘公
いやいや、うちも見ていたが敵ながらあっぱれな戦いぶりや。将軍としての礼を尽くしておかんとな。あ、受けた矢傷もちゃんと治療しておくように。
魯都・曲阜
臧孫達
いや、曹沫殿、そなたが来てから魯軍は負け知らずですね。感謝します。
そなたは戦指南だけの人物ではないようです。これからは我が孫の臧孫辰も助けてください。
臧孫辰
宋は先の乗丘の敗戦に懲りてしばらくは大人しくなるだろう。注意すべきは斉の動向だろうか?
いえ、もちろん斉は魯に再び侵攻してくるでしょうが、宋も乗丘の戦いでは勝てたはずですので黙ってはいないでしょう。
何?あれだけの大敗をしてまだ軍を起こすというのか? ふむ・・・ではまた斉と連合するのだろうか?
いえ、今回の戦いで斉は宋の戦いぶりを見ているはず。おそらく当てにはしないでしょう。
それが・・・最近斉では外国人の動向が厳しく監視されるようになっています。以前と違い動きが読めません。
斉の首都・臨淄
管仲
よう、無事に戻ってきたようだな。
鮑叔
何とかね・・・しかし困ったわ。魯軍相手に連敗するなんて、これでは斉の威信はガタ落ちよ。
なに、気にしなくていい、これで当分外国に出兵するなんて話は出ないはずだ、そのうちにじっくり内政に専念できる。
魯都・曲阜
さて、宋軍はあそこやな・・・ん、まだろくに陣形も整ってないやないか・・・
魯軍将校
みっくみくにしてやんよ〜〜〜!!!!
・・・これ以上追撃しても何の意味もないですね。曲阜に帰還しましょう。
ふん、宋公の暗愚もこれで明らかになった、宋の室も先が見えたな。
まぁ、資料を見てもここでは宋軍が魯軍にフルボッコにされたとしか書かれていないので・・・
さて、本編のほうで魯軍にフルボッコにされた宋軍ですが、さらに災難が続きます。この戦いは紀元前683年春のことでしたがこの年の秋に宋に大洪水が起こったの。
まさに踏んだり蹴ったりね。これに乗じて魯が宋に攻め込んだりしたの?
いいえ、逆に魯荘公は臧孫辰を見舞いの使者として宋に送ったの。
春秋時代の戦争はまだ国同士の生存をかけたようなものではなかったですからね。ある意味のんきな時代とでも言うのでしょうか。
宋の首都・商丘
公子御説(後の宋桓公)
宋国第十九代君主。在位年は前681〜651年。名は御説。荘公の子、閔公の弟。まず名君といっていい人物で、南宮長万の乱で乱れた国を安定させた。臧孫達曰く、「恤民の心があり、まさに君主たるべき人物」。外交においては斉を盟主と仰ぎ、斉の桓公が主催する会合・会盟にはほぼ全て参加している。夫人は衛の公女で、昭伯と宣姜の娘。
え、魯から見舞いの使者が?でも兄上にそのまま応対させてはまたひと悶着ありそうですね・・・仕方がありません。
せっかく魯と友好が結べそうなのです。このようにお返事なさいませ。(ヒソヒソ)
これは宋公、ご機嫌麗しゅう。天は長雨を降らせて祭りに供える穀物を損なったとのこと。どうしてお見舞いせずにいられましょう。
いえ、孤(君主が自らをいやしめた一人称)が不敬で政治を慎まないばかりに天は災害を下し、その上君にもご心配をおかけしました。仰せのほどありがたく思います。
魯都・曲阜
ほう、そのような・・・確かに国に災いがあったとき諸侯は自分のことを孤というのが礼やが、ちゃんと知っておったとはなぁ・・・
宋公はボンクラかと思っていましたが、そうでもないようですね。
いえ、どうも調べたところ宋閔公の弟の公子御説が助言したようですね。
さて、こんな事があってとりあえず魯と宋の間は平穏を取り戻したの。
こうなると以前乗丘の戦いで捕虜になった南宮長万も拘留する必要がないという事で宋に帰還する事になったわ。ただ・・・
宋に帰国した南宮長万はあまりいい扱いを受けなかったの。敵国との戦いで捕虜になったという事もあるし戦争の危機が遠のけば武将は遠ざけられるものだから。
そんなわけで紀元前682年、この年洛陽の周荘王が在位15年で死亡して周釐王が即位したの。事件はここで起きる事になるわ。
宋都・商丘
ふむ、洛陽で新君が立ったか・・・挨拶に出向かねばな。上洛の準備を整えよ!
何・・・捕虜になった男に警護させるつもりはない。物笑いになるのは御免だ。
そうだ!ふん、まったく生きて虜囚の辱めを受けるなど軍人の風上にもおけぬ!
仇牧
宋の大夫。前682年没。南宮長万をからかい、宋閔公と共に殺される。
・・・・・・このバカ殿様が・・・捕虜になった男でも人は殺せるのだぞ・・・死ね!!
ガタン
華父督
なっ、なぜ殺たし!
さて・・・邪魔者は消した。まずは新君に公子游を立てるとしよう。
公子游
宋国第十八代君主。前682年没。荘公の子、閔公の弟。南宮長万に立てられて位についたが・・・
何ですって、兄上が殺された!?このままでは危険ですね、北の亳に脱出します!
何、公子御説は亳に脱出したか・・・猛獲!南宮牛!亳(はく。宋の一地方)を攻撃し公子御説を殺せ!
猛獲
宋の大夫。前682年没。南宮長万の一味で、乱が起きると南宮牛と共に亳を攻めた。三国志の同名の人物とは別人。
南宮牛
宋の大夫。前682年没。南宮長万の子。父が乱を起こすとそれに従い、猛獲と共に亳を攻めた。
一方、宋の一地方、蕭の地
叔大心
宋の大夫。南宮長万の乱が起こると、宋の公族や曹の軍と協力して南宮氏の軍を破った。乱を鎮めた功から、附庸として蕭に封じられたという。
なんですって、商丘で反乱が起こった!?ふむ、反乱軍は公子御説の立てこもった亳を攻撃している・・・こんな叛乱認めるわけにはいきません。でも手持ちの兵だけでは・・・そうだ、隣国の曹に事情を話して兵を借りましょう。
こうして叔大心は曹に急行、首尾よく兵を借りて亳へ向かったの。
こうして亳を攻撃していた反乱軍は急襲を受けて壊滅、公子御説と叔大心はそのまま兵を率いて商丘へ向かったわ。
宋都・商丘
そ、それが奇襲を受け我が軍は壊滅!公子御説と叔大心が兵を率いてこちらに向かっています!
一方公子御説の方では
ふむ、何とかここまで来ましたが・・・やはり南宮長万が出てきましたね、正面から破るのは犠牲が多く出るかも・・・
ですが、敵の数は多くありません、今のうちに裏手から回って公子游の首を取りましょう。そうすれば敵軍の戦意も落ちるはずです。
何だと、公子游が殺された!? く、最早これまでか・・・
こうして公子御説は首都を奪回、宋桓公として即位したわ。
ええ、南宮長万と猛獲は他国へ亡命したんだけど後に強制送還、宋で処刑されたわ。
ふふふ・・・反逆者は・・・こうしてぇ・・・こうしてぇ・・・こうしてちゃうよっ・・・
それが資料を調べてみるとこの二人は処刑された後に死体を切り刻まれた挙句塩漬けにされたって。
なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。