萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その23
さて、今回で萌える春秋戦国史も23回目ね。
さて、前回で晋献公は申生、夷吾、重耳、3人の有力公子を都から遠ざけたのですが、その5年後、紀元前661年に晋献公は太子申生に軍を率いて霍・魏・耿の3カ国を討伐するように命じました。
そうです。しかも兵力は普通より少ないものしか与えませんでした。
紀元前661年 晋都・絳
どうしたもこうしたもあらへん。今度霍・魏・耿を討伐に行くそうやな?
それが何か?ってアンタも能天気やな、一度に3カ国を討つなんて奇跡でも起きない限り無理やで。しかも精兵は全部ここに置かれて与えられたのはロートルの兵隊ばかりやないか。こりゃ失敗を見込んで無理難題を押し付けられたんや。
そして半年後・・・
えっ!? い、いやぁ、申生ならきっとやってくれると信じていたぞ。
そしてその半年後、今度も晋献公は申生に兵を授けて今度は東山と呼ばれる赤狄の一派を討伐するように命令しました。
里克
晋の大夫。前650年没。里季子。晋の有力大夫。申生や重耳、夷吾ら公子に同情的で、驪姫を憎む。
申生様を東山討伐の将に任命されたそうですが、それはいけません、戦陣では将は君命に従う必要がありません。ですがそれが太子でありますと従わなければ不孝の罪になり、従えば勝機を逃す事になります。
里克よ、お前は世継ぎが申生と決めてかかっているようだが、私には子が幾人もいる、世継ぎはまだ誰とも決めていないぞ!下がれ、下がれ!
ところが申生は今度も軍を率いて奮戦し、東山を討ち滅ぼして凱旋しました。
晋献公と驪姫は再度の見込み違いにがっくりしましたが、ついにここで驪姫が奥の手を使います。
紀元前656年 晋都・絳
おお、驪姫様。お言葉を下さればこちらから参りましたものを・・・
ええ、実は殿が昨夜あなたの母君を夢に見られたそうです。なんだか寂しそうな様子だったとか・・・
どうか急いで曲沃の祖廟で母君をおまつりして、供物を献上してください。
この後に申生は曲沃で母を祀り、仕来りどおりに供え物の酒と肉を晋献公に献上しようとしました。
驪姫様、母上の祀りは滞りなく終わりました、これが供え物の酒と肉です。
おお、流石は孝行者の太子さま。ですが殿は今狩りに出かけていて留守にしています。供え物はお預かりしておきましょう。
ふふふ・・・やっとチャンスが来たわ・・・この毒薬を酒と肉の中に・・・
そして数日後
あ、ちょっとお待ちを。遠くから持ち帰ったものですから、まずは毒見を・・・
いえ、あの方がこのようなことをするはずがありません、きっと悪党があの方を利用したのでは・・・
この時その場にいた者が都に滞在していた申生に事件を急報したため、申生は急いで曲沃に逃げ帰る事になりました。
曲沃
申生さま、これは驪姫が仕組んだ事に決まっています、堂々と弁明なされば・・・
いえ、父上はもうお年です。何をするにも、驪姫がいなければ・・・もし驪姫の罪を明らかにすれば父上から取り上げる事になります。そうすれば父上は余生をどのように過ごされるのか・・・
いえ、たとえ亡命してもこのような汚名を被った私を受け入れてくれる国など・・・
こうして、申生は自決しましたが、驪姫はさらに重耳、夷吾の2人の公子にも手を伸ばします。
殿、私が聞いたところでは申生が殿を毒殺しようとした事件に重耳、夷吾の二人も関わっているとのことですが・・・
しかし、重耳、夷吾の2人は間一髪で蒲・屈の居城に逃げ帰りました。
黙って居城に逃げ帰ったのはやはり造反していた証拠か・・・軍を出して討伐してくれる!
この時夷吾の方は屈城に立てこもって徹底抗戦を行ったのですがやはり衆寡敵せず、梁へ亡命する事になります。
一方重耳の方ですが、蒲城から脱出しようとしていたところに討伐軍から宦官の閹楚という人物が使者としてやってきます。
閹楚
晋の宦官。勃鞮、寺人被とも呼ばれる剣の達人。晋公の命でたびたび重耳を狙う。
ちょっと待った!私に何の罪があって自決しなければならないの?
ですが、このままでは内乱に・・・それを喜ぶのは晋を狙う外国のみ。
だが断る!驪姫の陰謀で殺されるなんて真っ平だ!
狐偃
重耳の側近。字は子犯。娘が文公に嫁いだことから舅犯、または咎犯と呼ばれる。
狐毛
重耳の側近。狐偃の兄。才気煥発な弟狐偃に比べて、兄の狐毛は温厚な性格で鋭すぎる弟を抑える役回りであったという。
そうですねぇ・・・北には殿下の母上の故郷の狄の地があります。そこへ亡命して前後策をうかがうというのは?
趙衰
重耳の側近。驪姫の策謀を避けて出奔した重耳に従い、諸国を放浪した。文公とは遠縁にあたる。
魏犨
重耳の側近。若い頃から重耳に仕え、後に重耳が亡命、流浪の旅に出た際も、常に護衛として重耳を守り続けた。
先軫
重耳の側近。優れた武勇が狐偃の目に留まって重耳に仕える。
こうして、重耳と夷吾の2人も国外に亡命し、晋にはますます暗雲が漂う事に・・・
そうですね。次回は少し舞台が変わってあの人が再登場するとのことです。
今回の死亡者
申生
晋の公子。前656年没。諡は共、または恭。献公の子、母は斉姜。太子申生。共太子。献公の太子であったが、驪姫の策謀により罪を着せられ、自殺した。孝子として知られ、驪姫の策に気付きながら最後まで父に逆らうことは無かった。
なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。