萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その36
さて、今回で萌える春秋戦国史も36回目ね。
前回ではいよいよ晋軍と楚軍が決戦間近に迫ったところまで進んだわ。この後晋軍は曹から衛に後退して城濮という場所に堅固な陣地を築いたの。この頃になって秦からは孟明視、白乙丙、西乞術が、斉からは崔夭が軍を率いて晋軍に合流したわ。
孟明視
秦の大夫。百里奚の嫡子。秦軍を率いて城濮の戦いに参戦。後に・・・
白乙丙
秦の大夫。蹇叔の嫡子。秦軍を率いて城濮の戦いに参戦。後に・・・
西乞術
秦の大夫。蹇叔の子。秦軍を率いて城濮の戦いに参戦。後に・・・
城濮 晋軍陣営
先軫
そのつもりです・・・が、その前に軍を3日分進めましょう。
楚成王
もし首尾よく晋に戻れたら、私にどのように報いてくださるかな?
うーん・・・財宝も、領土も、美女も楚王はお持ちでしょう。一体何をお返しすればいいか・・・
では、こうしましょう。もし将来やむなく成王さまの軍と戦う事になった場合、三舎(軍の3日分の行軍距離)退く事にいたしましょう。
そこで我が軍はここから3日進んで楚軍を待ち受けます。楚軍と遭遇したら3日後退してここで戦いましょう。
こうして晋軍は城濮から3日分進軍し、楚軍を待ち受けることにしたの。
楚軍陣営
楚軍兵士
将軍!晋軍を発見しました!この先に布陣しています!
何?そういえば・・・昔晋文公が亡命していた時我が軍と戦う時に三舎退くと言っていたが・・・とにかく追撃だ!
一方晋軍の側では
それから報告が入っています。宋から公孫固殿が軍を率いて到着されたそうです。
一方楚軍では・・・
くそっ!連中、ここに来る事を読んで陣地を築いていたな!?何が三舎を避けるだ、まるでペテン師ではないか!こちらも急いで陣地を築け!
あれ・・・敵も陣地を築き始めましたね。持久戦をするつもりでしょうか?
いえ、敵の方が補給線が長い・・・いずれ痺れを切らせて仕掛けてくるはず。
晋軍
楚軍
その他鄭・陳・蔡・許軍を含む
晋側の総兵力はおよそ8万〜9万人、対して楚軍はおよそ5〜6万人と推定されるわ。
城濮
ええい、兵の数は向こうが上だが・・・寄せ集めの兵など蹴散らしてやる。子上!子西!それぞれ晋軍の両翼に攻撃を仕掛けろ!私も一気に中央を叩く!
一方、上軍の方では・・・
そのころ、陣地正面では・・・
こうして、晋を主力とした連合軍は楚を主力とした連合軍を城濮で撃破したの。これによって晋文公は斉桓公に続いて覇権を握る事になったわ。
この後、楚軍の総大将である子玉は自決、また生き残った子西も後に別の事件で粛清されるんだけどその辺はカットさせてもらうわ。
さて、この後晋文公は践土という場所で周襄王や他の諸侯を集め、会盟を行ったの。
その後、晋文公は秦穆公と共に鄭を攻撃、かつて行動を共にした鄭の公子蘭を立てて鄭穆公とするの。
晋・冀の郊外
ふう、ようやく任務も終わりました。少し休んでいきましょう。ん・・・あれは?
・・・不思議ですね、ただの農民のはずなのにその挙動は人を敬うという事を知っている人間のそれです。一体どんな人なのか・・・あ!
こんなところにいたのですか・・・あなたほどの人物を埋もれさせるわけには行きません。ついて来て下さい。
晋都・絳
申し訳ありません。ですが、戻る途中で賢人を見つけました。あえて申し上げます。
私は彼が敬を忘れていない事を見ました。敬とは徳の慎み深さです。徳を慎んで事を行えば成らぬ事はありません。
しかし、その者の父(郤芮)は私を殺そうとした罪がある。それでも用いよと・・・
かつて斉の菅仲は桓公を殺そうとしましたが、桓公はこれを用いて覇業を成し遂げました。
こうして、郤缺は晋の朝廷に復帰、胥臣の下につくことになったの。
そうね。この後、紀元前628年に晋文公は逝去するわ。在位期間は9年と短かったけど、その中で行った事は覇者の名にふさわしく、斉桓公と並んで春秋五覇の筆頭に数えられるの。
そうね、次回で登場人物たちをまたまとめた後に第4部へ進むわよ。
今回の死亡者
子玉
楚の将軍。楚成王に仕え、後に城濮の戦いで晋文公と戦ったが、戦いに敗れた後に楚成王の怒りに触れ、自決を強いられる。
子西
楚の大夫。城濮の戦いで晋文公と戦ったが敗れた。後に事件に巻き込まれ粛清される。
子上
楚の大夫。城濮の戦いで晋文公と戦ったが敗れ、戦死する。
なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。