萌える春秋戦国史 「しゅん☆じゅう」 その41
さて、前回は晋の後継者争いまで話が進んだわね。あの後、晋襄公の嫡子が晋の国君の座に就いたわ。後に晋霊公と呼ばれる人物ね。
晋霊公
晋国第二十四代目の君主。名は夷皋。晋襄公の死後、趙盾によって擁立された。
おっと、それに関してはまた今度ね。さて、この頃晋に亡命した士会は秦の君主康公に仕えることになるわ。
秦康公
秦国第十代目の君主。姓は嬴。諱は罃。秦穆公の子。父の後を継いで度々晋と争うこととなる。
紀元前620年 秦都・雍
それから、国境から知らせが入った。そなたの一族もこちらに向かっているとのことだ。
・・・しかし、我が士氏は他家と誼はあまりないのに・・・どうして一族が無事に秦までたどりつけたのですか?
士氏の家臣
それが・・・国境まで郤氏の兵が護衛してくれたのです。
この後、しばらく士会は秦に住むことになるわ。ただし、士会の兄の士穀はまだこの時晋にいるんだけどね。
さて、ここで少し他国に目を移してみると、この年にかつて晋文公に助けられた宋成公が亡くなって宋昭公が即位したわ。ところが宋昭公は自分に敵対すると思われる公子たちを追放しようとしたので追放されそうになった公子たちが先手を打って反乱を起こしたの。
宋昭公
宋国第二十一代目の君主。名は杵臼。宋成公の死後、宋の国君の座に就いた。即位直後、敵対する公子らに反乱を起こされる。
これに巻き込まれる形で宋の大黒柱ともいえる重臣、公孫固も殺される事になるわ。
こののち、宋昭公は反乱者と和解するんだけど、これによって宋には不穏な動向が広がる事になるわ。
紀元前618年 秦都・雍
ふぅ・・・そろそろここの生活にも慣れてきました。ここに骨を埋めるのも悪くないかもしれませんね・・・
それが・・・以前、先君(晋襄公)が士穀様と梁益耳様に中軍を任せようとしていたのは覚えておられますね?
ええ、ですが先克殿にそれは阻まれました。それだけでなく、昇進を約束されていた先都殿と箕鄭殿も昇進を妨げられ・・・まさか!?
・・・先克様はそれだけでなく、大夫の蒯得様からも土地を奪ったのです。それで、先克様に恨みを持つ5人が共謀して先克様を暗殺されたのです。
蒯得
晋の大夫。先克に土地を奪われ、先都、箕鄭、梁益耳、士穀らと乱を起こした。
はい、5人が暗殺されたのはその直後の事でした・・・士穀様もそのとき・・・
秒殺された皆様
なんということなの・・・兄上の嫡子の渥濁はどうしたのですか?まさか・・・
いえ、士渥濁様は無事に脱出されてこちらに向かっているとのことです。
さて、この後士会は秦康公の軍事顧問となって紀元前615年に晋との間に行われた河曲の戦役で晋軍をさんざんに叩いたの。
紀元前614年 晋国内某所
・・・先ごろわが国を出奔した狐射姑は狄の地に、また士会は秦にいます。このままでは国難が来るでしょう。皆様の知恵をお借りしたいのです。
・・・私は狐射姑殿を呼び戻せばいいと思うの。国外の事情に通じているし、それに彼を復帰させれば旧勲の子を用いる事になるの。
・・・いえ、私は反対です。狐射姑殿は乱を起こし、その罪は大きい。士会殿を呼び戻すのがいいでしょう。身分は高くないのに恥を知っていたし、彼の知謀は国の役に立ちます。秦に逃れた事が大きな罪とは思えません。
・・・狐射姑を呼び戻せば、また乱を起こすでしょう。士会を呼び戻すことにしましょう。
この後、郤缺は謀略を使って士会を秦から呼び戻す事に成功したの。
そうね、普通なら秦はこれに怒るところなんだけど、秦康公はかえって士会の一族を晋に送り出したといわれているわ。ただし、この後も秦に残った士氏の一族がいて、彼等は後に劉氏と呼ばれるわ。
晋都・絳
兄上のことですが・・・明らかにはなっていませんが、兄上を殺したのは趙盾殿でしょう。貴方が仇を討つというならば協力します。失敗しても、秦君が迎えてくれるでしょう。
いえ・・・ご存知のように父は乱を起こし、そのため先氏は衰弱しました。私には仇を討つ正当さがありません。むしろ、先氏の一族に私が討たれるかも・・・
いえ、直後に先都殿と梁益耳殿が殺されました。おそらくその2人がやったことでしょう。
そうですか・・・それならあなたは怨みを受けないでしょう。ところで、先氏の跡継ぎは・・・
この度は私を戻すために尽力してくれたようですね。それに、私が出国した時も一族を守ってくださったとか・・・どうして、私にそこまでしてくれるのです?
・・・22年前の事です・・・先君文公が戻られた年、私は乱を起こして敗れ、重傷を負いました。そのとき捕らえられれば私は処刑されていたでしょう。ですが、あなたは私を助けてくれた。私はその恩に報いたのです。
私はあの時の罪をまだ償わねばなりません。どうかわが国のために力を貸してください。
それから・・・どうやら楚では楚穆王が亡くなったらしい。これから南が騒がしくなるでしょう。
今回の死亡者
先克
先且居の嫡子。父の死後、先氏の跡継ぎとなる。後に他の大夫らの恨みを買い暗殺された。
士穀
士会の兄で士氏の当主。後に乱を起こし、先克を殺したが自らも直後に殺された。
梁益耳
晋の大夫。晋襄公に昇進を約束されたが先克に阻まれた。後に乱を起こし、先克を殺したが自らも直後に殺された。
先都
晋の大夫。晋襄公に昇進を約束されたが先克に阻まれた。後に乱を起こし、先克を殺したが自らも直後に殺された。
箕鄭
晋の大夫。晋襄公に昇進を約束されたが先克に阻まれた。後に乱を起こし、先克を殺したが自らも直後に殺された。
蒯得
晋の大夫。先克に土地を奪われ、先都、箕鄭、梁益耳、士穀らと乱を起こし、先克を殺したが自らも直後に殺された。
宋成公
宋国第二十一代君主。在位年は前636〜620年。名は王臣。襄公の子。父の死後、一時は楚に従ったが、晋の文公が即位した後は一貫して晋に味方した。紀元前620年に病没する。
公孫固
宋の卿。前620年没。荘公の孫。司馬。大司馬。襄公・成公に仕えたが宋成公死後の動乱に巻き込まれて殺害された。
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