萌える春秋戦国史 その3


さて、というわけで萌える春秋戦国史の3回目ね。


今回はちょっと間が開いたな。


仕方ないでしょ。有明のお祭にかかりっきりだったんだから。


(スタッフの笑い声)


それじゃ、本編に行ってみるぜ。




鄭荘公
・・・・・・そもそも、どうして衛が我が鄭に攻め込んできたの?以前書を送って軍を引かせたはずなのに・・・


公子呂
それが殿下、最近衛で政変が起こり衛桓公が殺害されたようです。


なんですって?


祭足
新しく衛君の座についた公子州吁と側近の石厚のことはご存知で?


ええと、たしかかなりの我侭かつ乱暴者とか・・・


ここで舞台は衛に移ります


衛州吁
衛国第十四代君主。在位年は前719年。荘公の子。公子州吁。荘公の愛妾の子。荘公に特に可愛がられ、衛君の位を望む。


石厚
衛の大夫。前719年没。石碏の子。公子州吁と仲が良く、父に州吁と遊ぶことを禁じられるが聞き入れなかった。成人後も二人の関係は変わらず、州吁が位につくとその補佐をした。


桓公
衛国第十三代君主。在位年は前734〜719年。名は完。衛荘公の子。


さて、というわけで衛の国君の座を奪うために、貴様には死んでもらう!


覚悟!


な、出番かと思ったらこれか!? ぐふっ・・・





よし、計画通り桓公は殺した。ところで弟の公子晋はどうした?


それが、いち早く逃亡した模様で・・・


ちっ、まぁいい。邪魔者を追放する手間が省けたというものだ。


こうして公子州吁は衛の国君として即位したんだけど当然のことながら市民の人気はガタ落ち、家臣にも白い目を向けられることになったの。もともと人望なかったのかしらね・・・


今までの説明だとあるほうが不思議だって。


くっ、このままではまずいな・・・どこか近隣諸国に戦争を仕掛けて威光を示し、国内の不満をそらすことにしよう。どこがいいか?


ちょうどおあつらえ向きに鄭の公孫滑がわが国に亡命しています。彼を押し立てて鄭を討つべきかと。それに以前鄭は周に無礼を働いています。


しかし、鄭は以前斉と友好を結んでいる。単独で勝てるか?


ならば我々も近隣諸国を集めましょう。


成算はあるのか?


まず陳と蔡の二カ国があります。彼らは以前鄭が周に無礼を働いたことを快く思っていません。それに小国ですから脅かして言うことを聞かせられるでしょう。次に魯です。今魯で実権を握っているのは国君の隠公ではなく公子翬です。彼は貪欲ですので財宝を積めば兵を出してくれるでしょう。最後に宋ですが、現在宋の公子馮が鄭に亡命しています。実は彼こそ宋の先君の嫡子ですが先君の遺言で継承権を放棄して出国しています。ただ、その存在が現在の宋殤公には不安でしょうからそれを焚きつければ兵を出すはずです。


なるほど、さっそくそうしよう。


・・・というわけです。


ぐぐぐ・・・内政の失敗を戦争でどうにかしようって発想は紀元前からなのね・・・


殿下、そんなことを言っている場合ではありませんが。


そうです、いくら我が軍が精鋭とはいえ5カ国連合軍を相手にしては・・・


いえ、公子呂殿、心配することはありません。


5カ国連合の大軍ですぞ。それが心配いらないと?


なるほど5カ国ではありますが、本気で戦う気があるのは宋軍のみ。しかも戦う目的は身内の公子馮を捕らえるか殺すためよ。ならば公子馮を遠隔の地に移せば宋軍を引き離せるわ。


それはいい。しかし他の4カ国がなぜ本気で戦わないと?


陳と蔡は衛の圧力でしぶしぶ出兵したはず。我々に恨みがあるわけでなし戦意があるわけがないわ。


しかし、その両国は我らが周朝を侮辱したのを憤っているのでは?


それはそうでしょう。でもそれだけで生死を賭けた戦いは出来ない。


では魯は?


魯も同じこと。こちらの情報によれば魯将の公子翬は財宝で買収されて参戦しているようだけど、そんな将軍が本気で兵を失う戦いはしないわ。


しかし衛は侵略の首謀者では?それに州吁と石厚は猛将と聞きます。


そう、確かに正面から戦えばなかなか手ごわい相手でしょう。でもそもそもこの戦いは衛にとって国内の不満をそらすのが目的よ。つまり彼らは本気でわが国を潰すためではなく勝つために来ている。おまけに国内の情勢が不穏と来れば少し負けてやればすぐ軍を引くわ。


しかし、だからといっておめおめ負けるわけにも・・・


いえ、どうせ彼らの命はそう長くないわ。衛には良識派として名高い大夫石碏がいるわ。


何ですって?彼は石厚の父じゃないの。


だからよ。このまま石厚を生かしておけば衛でまた政変が起きたときに石氏の一族が巻き添えで皆殺しになりかねない。それを避けるためには石厚と州吁に死んでもらわなければならないわ。ふふ、いずれあの2人は彼の手にかかるでしょう。


わかったわ。それでは城の防備を固めて公子馮を長葛城(河南省長葛県北)に移すように。


というわけです。公子、移動の準備を。


公子馮
宋穆公の子。父の穆公が公子与夷(宋殤公)に位を譲ったので鄭に出奔した。


そ、そんな!私は宋軍に捕まれば間違いなく殺されてしまいます!


ご安心を、長葛城の兵には公子の命令に従い城を死守するよう伝えてあります。城には兵糧武具も用意してあります。


うぅ、本当に大丈夫なんでしょうか・・・



そして数日後


ふふふ、何の妨害もなく新鄭まで到着できたな。


連中、我々を恐れて城に閉じこもっているのでしょう。


よし、陣を築いて明日より城攻めにかかる!



同じく宋軍の陣営


宋殤公
宋国第十五代君主。在位年は前719〜710年。名は与夷。宣公の子。叔父の穆公の後を継いで即位した。しかし、宣公が見抜いた通り君主としての器量はあまり優れていなかったようである。在位10年で実に11回も戦争を行ったという。



ん?城門が開いたですって?


宋軍兵士
は、軍使がこちらに向かっています。


これは宋傷公、ご機嫌麗しゅう。我が君より親書を預かってきました。


公子馮を庇護したことが貴国の不興を招いたと承知している。もとより宋の内政に干渉するつもりはない。とはいえ懐に飛び込んだ窮鳥を害するのは義に反する。よって公子馮を長葛城に移した。適当に裁量されたい。

・・・・・・よし、陣をたたんで長葛城へ向かう!


ははっ!



なんだって、宋軍が戦列を離れた!?くそ、勝手なことを!


いきなり宋軍が戦列から離れたので魯、陳、蔡軍が浮き足立っています。このままでは城を攻めても埒が明かないかと。


うーむ・・・


よし、出撃するぞ、城門を開けろ!


鄭軍兵士
はっ!


我こそは鄭の公子呂なり、衛将と一騎打ちを所望する!


何、鄭軍が出てきただって?望むところだ、石厚よ、相手をして来い!


はっ!    我こそは衛の石厚なり、いざ勝負!




(・・・なかなか出来るな・・・よし、ここは作戦通りに)


なかなかやるな、今日のところはこのくらいにしておいてやる!(もろ悪役の台詞・・・トホホ)


待てっ、逃げるか!


よし、公子呂殿が城に入り次第門を閉めよ!


くそっ、城門が閉められたか!



おい、某RPGではないんだからそれで引き上げるわけには行かないんだぞ。


わ、分かっていますが・・・ん?城の周りに麦畑が・・・そうだ、以前鄭が周の穀物を奪った報復に我らも奴らの麦を抜き取りましょう。


なるほど、それはいい。我々の勝利を宣伝できるしな。


よし、麦を根こそぎ抜き取れ!


衛軍兵士
ははっ!


そして翌日


周朝に対する鄭伯の無礼を懲戒するこの度の挙兵は既に目的を果たした。よって明日早朝凱旋の途につく。


敵軍、引き上げていきます!


やはりね・・・まぁ、こちらもそんなに被害が出ているわけではないから良しとしましょう。


こうして宋軍を除く4カ国連合軍は鄭から引き上げたわ。これが後に東門の役と呼ばれる戦いよ。


あれ、長葛城に向かった宋軍はどうしたんだ?


それについてはこれからね。


公子馮
くっ、完全に包囲されましたか・・・


宋殤公
公子馮よ、無駄な抵抗はやめて降伏しなさい!


何を馬鹿な!降伏したところで間違いなく殺す気でしょう、こうなれば最後まで戦ってやります!




ちなみにこの戦いは結構長引くのでまた後ほど。


そして衛では


むむむ。この前の戦勝を宣伝したが相変わらず国内の情勢は不穏なままか・・・どうすれば。


・・・私の父石碏は朝臣と城民の信頼を一身に集めています。再出馬を願ってみてはいかがでしょう。


しかしそちは父から勘当されていたのではないか、大丈夫か?


何とかやってみましょう。


石碏
衛の大夫。公子州吁の振る舞いを憂い、荘公を諌めたが聞き入れられなかった。公子完が太子となったので安心して引退したが、州吁が桓公を殺して位についたので、策をもって州吁を除いた。州吁を処刑するために、我が子をも殺したので忠臣として称えられた。


・・・主公が会いたいと?何のためかな?


政権安定のために父上の力をお借りしたいとのことです。


ふむ、それならわけはない。洛陽の天子に即位の旨を伝えてお言葉をいただければ政権が安定する。そうだな、確か陳国の国君桓公は天子の覚えがめでたいからまずは陳に立ち寄ってとりなしを頼むのが良いだろう。私から手紙を書いておくから心配は要らない。


父上、ご教示ありがとうございました。


・・・さて、陳に手紙を書かねば・・・


桓公
陳国第十二代君主。在位年は前744〜707年。名は鮑。文公の子。


・・・衛から手紙?ふむ、ふむ・・・



そして数日後


ふぅ、ようやく陳までたどり着いたな。うまくいけばいいが。


父上から既に話は通っています。ご安心を。


そうか、・・・ん?何か騒がしいような・・・


陳軍兵士
いたぞ、州吁と石厚だ、捕まえろ!


これは一体どういうことだ!?


・・・石厚よ、君の父上から連絡があってね。馬鹿息子が欲に目をくらませて簒奪に走ったと。その簒奪者が近く訪れるので捕縛して欲しいとのことだったよ。


な、なんだってーー!!


一方衛では二人の捕縛の知らせを受けて石碏が中心となって亡命した公子晋を衛の国君に立てることにしたわ。これが後の衛宣公ね。この人もあんまり評判は・・・いやまぁ、ゴニョゴニョ


衛宣公
衛国第十五代君主。在位年は前718〜700年。名は晋。荘公の子。州吁の乱の後即位した。大過なく衛を治めていたようであるが、後継問題の処理を誤り後の乱の原因をつくった


さて、陳に捕まっている2人のことだが・・・州吁は死罪として石厚はどうすべきかな?


石厚は州吁と同罪でございます。


だが卿の功績に免じて・・・


いえ、そのようなわけにはいきません。朝臣として許されても不肖の子として親が引導を渡します。それをお許しください。


わかった、それでは右宰醜よ、陳へ向かい州吁を処刑するように。


はっ。


私の家臣の孺羊肩も同行させます。


右宰醜
衛の大夫。名は醜、右宰は官名で、氏は不明。衛の右宰の職に就いていた人物。陳で捕えられた州吁の処刑に立ち会った。


孺羊肩
石家の家宰。石厚の処刑に立ち会った。




そして陳では


右宰醜か、そちは寡人の臣ではないか、臣が君を処刑する道理がどこにある!


道理はないが前例はある。なぜ先君を殺した!だがオレは君命によって逆賊を処刑する。



とにかく父上に会わせてくれ。このままでは死んでも死にきれない。父上に言い残すことがある!


若旦那、観念してください。その必要は無いと聞いています。まぁ、首は持って帰りますのでそのときにでも旦那様におっしゃってください。




殿下、任務完了しました。


うむ、ご苦労。


これで衛の政変は一段落がついたわ。東門の役から約半年後のことね。ここで舞台はまた鄭に移るわ。


鄭、長葛城


うりゃぁぁぁー!


き、きゃぁぁぁ!?





はぁ、はぁ・・・ようやく半年がかりで城を落としたわ。公子馮はどうしたの!


大変です、城内には姿が見えません!おそらく逃げられたのかと・・・


なんですってぇぇ!?何のために半年もかけて城攻めをしたというのよ!こうなれば長葛周辺を略奪して帰還します!


新鄭の城では


衛からの連絡です。先ほど政変が起こり州吁が倒され新君の宣公が即位したとのことです。


ふーん、やはり祭足の言うとおりになったわね。流石だわ。


恐れ入ります。


これでまた平和が来るかしら・・・


殿下、長葛城より公子馮殿が参られました。


何ですって、すぐに通しなさい。


申し訳ありません、殿下よりお預かりした城を守りきれませんでした・・・


いや、よく半年も頑張ったわ。再びそなたを鄭で庇護しましょう。


あ、ありがとうございます。


天は自ら助けるものを助ける、よくぞ陥落した城から逃げ出せたわね。


しかし、宋殤公は私を捕縛できなかった腹いせに長葛周辺を略奪して引き上げたそうです。


・・・何ですって?


そして数日後


宋に自国を略奪されたままにしておくわけにはいかないわ、報復に宋を攻めましょう。


いえ、それはいけません。今宋を討てば5カ国連合に加わった国は火の粉を被るのを恐れて団結します。遠征先で5カ国に集中攻撃を受けては手の施しようがありません。


む・・・


そうですね、まずは洛陽に行くことです。


また悪い癖を出したわね、真っ直ぐ言って頂戴。


まっすぐ言っています。あわてずに続きを聞いてください。まずは洛陽に出かけて宋を討つ錦の御旗を手に入れることです。


しかし、そううまくいくかしら?ただでさえ今の周王はこちらを快く思っていないでしょうに。


まぁ、前に麦刈りとかしましたからねぇ・・・ともあれ心配は要りません。なぜなら錦の御旗はこっちで用意してあるからです。洛陽に行くのは周王から手に入れたという辻褄あわせですから。


それは王命の詐称じゃないの?


バレなければ心配はありません。


こうして鄭荘公は宋を討つ錦の御旗を手に入れることに成功したわ。予想通り諸侯は周が鄭の圧力に負けて錦の御旗を手に入れたと信じたようね。


今回はここまでかな?


そうね、次回からは宋との戦争が待っているわよ。


とりあえず次回に出る予定のの登場人物を紹介しておくぜ。


孔父嘉
宋の卿。前710年没。名は嘉、字は孔父。宋の大司馬。孔子の六世の祖。


公孫閼
鄭の公孫。字は子都。桓公または武公の孫。


高渠弥
鄭の卿。前694年没。荘公以来の重臣で、後に卿となる。


なお、アイコンは以下のサイトから使用させていただきました。


ぶらんけっと様
眠りの園様
まこっちゃん記様
し〜くれっとも〜ど様